Career Collection
一人ひとりの働く想い、
すべてが“グッドストーリー”
Career Collection
(キャリアコレクション)では、Adeccoで就業中の皆さまのキャリアストーリーをご紹介し、
働く皆さまに元気や勇気、そして、よりよい毎日にするためのヒントとなるような気づきなどを
お届けすることを目指しています。
開催6年目となる2021年度は、「自分らしさを大切にした働き方」をテーマに、
それぞれの多様な価値観やビジョンに沿ったキャリアストーリーを募集しました。
Adeccoで働く仲間のキャリアストーリーが、
あなたの明日への元気や勇気に
つながりますように。
皆さまが素敵な”グッドストーリー”を
叶えられるように、
Adeccoはこれからも寄り添っていきます。
シンプルに、
わがままに。
私が派遣社員として働き始めたのは24歳の時です。それまでは契約社員として、好きだった接客の仕事をしていたのですが、もっといろんな仕事を経験したみたい!と思い、事務職の仕事を探し始めました。やる気だけはあるものの、経験もなく新卒でもない自分をどうアピールしてよいのか分からず悩んでいたところ、友人から派遣制度について教えてもらったのがきっかけでした。登録してすぐに、未経験OKの営業事務の仕事を紹介してもらい、事務職デビューを果たします。その後、経理の仕事に興味を持ち、独学で日商簿記検定2級を取得。再度、派遣社員として経理の仕事に就きました。その職場では1年後、正社員として雇用してもらい、慌ただしい毎日を過ごしていました。
その後、結婚したことでライフスタイルが変化し始めます。職場が遠くなり、満員電車で往復2時間。残業して帰っても休む間もなく、家事に追われ、毎日寝不足に。今考えると、根性論だけで日々乗り切っていた気がします。
ライフスタイルが変われば、働き方も変わる。みんなそれぞれライフスタイルが変わる時期、変えたい時期があると思います。「働く」と「生活」のバランスを柔軟に変えることができたら素敵だなと思います。
現在は、転居をきっかけに退職し、派遣で経理の仕事を扶養内で働いています。働き方を変えたことで、自分が経理という仕事が好きで、どんなことに楽しさや、やりがいを感じていたのか、改めて気付くことができました。コロナ禍においても、自分にとって何が必要で、何を大切にしたいのかが明確になった気がします。今は家族との時間を大切に、コロナが落ち着いたら、働く時間を増やしたいと思っています。その時々で、大切と思えることを形にできるよう、日々努力を続けていきたいです。
子供の学校時間を
有意義に使おう!
現在の仕事に就くまでは、大手ディスカウントショップで夜間の品出しとレジ、ベビーシッターとして働いていました。しかし、コロナ禍もあり、依頼は激減。
そんな時に夫がコールセンター業務のことを教えてくれました。
下の子が小学生になるタイミングで受注受付の仕事に就くことになり、現在就業3ヶ月目です。
この年で新しい分野に飛び込むのは勇気が必要だと思います。最初は覚えるのが大変でしたが、勉強した内容はもちろん、少しずつ増えていく専門知識にドキドキしています。入社後すぐに持病の手術をしたため、約1ヶ月離脱しましたが、復帰後も温かく見守っていただき、最近少しずつ定着してきたように思います。
生活習慣も少し変わりました。喉のケアを入念にするようにしています。元々喘息持ちで子供の頃から苦しんでいたのですが、加湿と喉スプレーの利用で以前より発作が起きにくくなりました。
そして、今更ですが言葉遣い、話し方、話すリズムの勉強もしています。オペレーターはお客様が欲しいと思った商品を購入するための道しるべ。少しでも聞き取りやすく、安心してご利用いただければと努めています。
覚えたことは自分の生きる糧になる!まだまだひよっこですが、少しずつ成長できればと思っています。
そして、子供との時間も大切にしたいので、8時45分から14時までの時間でできる仕事は本当にありがたいです。
まだまだ子供が小さいので、少しずつレベルアップし、二人が高学年になる頃にはフルタイムで働けるようになりたいです。
今はまずこのペースを保ち、もっと知識を蓄えて、いずれはなくてはならない存在になれたらと思っています。
未知のジャンルを
好きになる!
留学帰国後、すぐには職には就かず、短期派遣やアルバイトを繰り返しながら、貯めたお金で頻繁に旅行に出かけて、自由を謳歌していました。その頃6年ほど勤めていた会社は、とてもよい職場環境で、人間関係もよかったです。
バックパッカーにのめりこみ、世界中を周遊した経験を生かして、20代後半からは旅行事務で働き始めました。実際の旅と仕事では全く違う世界でしたが、好きなジャンルと仕事をリンクさせることで多角的に物事を見れるようになったと思います。
その後、妊娠をきっかけに退職し、3年ほど専業主婦になり、第二子出産後は、コロナが流行し、主人の会社が危うくなりそうだったので、自分もすぐに職を探しました。コロナ禍により、前職を生かせる旅行会社はほぼ求人がなく、派遣社員として、新しいジャンルの外資系企業の秘書アシスタントに就きました。最初は3年半ぶりの仕事ということもあり、戸惑いもありましたが、初めて経験するリモートワークにも数ヶ月で慣れていき、秘書という補佐的なサポート業務にもやりがいを感じていきました。役員や管理職の方たちと触れあう機会もあり、勉強になりました。以前の職場での事務や業務渡航でも人をサポートしていたので、その経験が生かされたと思います。さらに、外資系企業の雰囲気や業務で英語を使用することにも慣れ、少しずつ自分の自信に繋がってきたと思います。
ハイブリッドな
派遣社員という
働き方に感謝
大学院修了後、大学非常勤講師として、複数の大学で働いています。
とはいえ、「この1つの授業だけお願いしたい」というケースが多いため、週5日働くということはなかなか難しい業種です。また、「大学の先生」と言うと聞こえはよいですが、1年契約のお仕事です。ほぼ毎年更新をいただいておりますが、いつ終わりになるかわかりません。
そんな状況の私にとって、「何曜日のみ」、「半年のみ」、「パソコンスキルやトークスキルを生かした業務内容」といった希望をお伝えしてお仕事を探していただける派遣という働き方は、大変ありがたいものです。アルバイトのように自分で仕事を探して、何度も履歴書を送る必要がなく、大学の時間割変更などに合わせて、就業先企業に勤務曜日の変更をお願いする際には、派遣会社に仲介していただける、といったメリットには本当に感謝しています。
一番ありがたいのは、更新のたびに「就業先企業から更新のご希望をいただいております」というご連絡をいただけることです。ミスをしてしまったときなど、本当にお役に立つことができているんだろうか、と日々の業務の中で思うこともありますが、派遣会社という仲介があることで、就業先企業からも本音のご評価をお聞きできるので安心です。これからも様々なサポートを励みにお仕事を続けていきたいと思います。
異業種への
キャリア変更
(コロナ禍の中で)
この3月に、20年働いていた職場を退職しました。
大学卒業後、アパレルの販売員として百貨店で働いていましたが、妊娠中に体調を崩して退職。その後は、再雇用として時短勤務で働いていましたが、コロナ禍の影響で、退職することになりました。ずっと同じお店で働いてきて、他を知らない私は焦りました。次はどんな仕事をしたらよいのか。
大学の時に図書館司書と教員免許は取っていましたが、実務経験がある訳でもないので、多分無理だろうなと思いました。でもなんとなく、図書館司書求人と検索してみたら、求人が出ているのを見つけました。それが、アデコとの出会いでした。
派遣会社への登録は初めてだったので、どんな風になるのか想像もできませんでしたが、メールで求人に応募したところ、すぐに返信があり、疑問にすぐに答えていただけました。
そして、電話でインタビューがあり、職歴やどんな仕事がしたいのかじっくり聞いてもらうことができました。
「今まで経験のない職種でも、挑戦している方はたくさんいます。」と背中を押されて、今は短大の図書館で働いています。
元々本好きなため、読んだことのない本がたくさんある環境が非常に楽しいです。覚えることがたくさんありますが、すべてが新鮮で、なによりマニュアルがある仕事というのが、私にとって安心に繋がっています。
販売員時代は、マニュアルがなく、見て覚えることが多かったので、特に違うと感じています。
思い切って転職して本当によかったです。私は今47歳ですが、年を取っていても新しいことに挑戦したっていいんだ、と思っています。
図書館は対面で学生や先生に接する機会が多く、販売での経験が生かせているように感じます。
アデコでは、キャリアコーチに仕事について相談ができますので、何かわからない点があれば、すぐに聞くことができる所もよい点です。
まだ3ヶ月しか働いていないので、少しずつこれからも努力し、成長していきたいと思います。
新たなキャリア、
私の場合
私は長年勤めた市役所を定年退職し、その後、シルバー人材センター、塾講師・教室長といった職場で働いてきました。ところが、妻が病弱のうえ、母も要介護になり、フルタイムの仕事は困難となりました。 病院の送迎や買い出し、家事などをこなしながら働くには時間の制約があります。その上、65歳という年齢の壁が加わると、いくら自分が健康でも就労は厳しいということを実感しました。自分が若いころ、65歳以上の人材採用は躊躇していましたので、自分がその歳になれば採用は難しいだろうことは想像できます。まして時間の制約があっては、いくら本人が健康でも採用どころか面接もできないという現実に直面し、どうしたものかと思い悩んでいたところ、アデコの新型コロナ予防接種会場での仕事を見つけ、すぐに応募し、この年齢にもかかわらず、採用していただきました。 長年働いてきた市役所の仕事であり、地域の皆様に役立ち、家庭とのワークライフバランスも良好で、本当に助かりました。 当然ながら、市職員も顔なじみが多く、また仕事を通じて地元の友人や同級生などと顔を合わせることもあり、やりがいを感じながら楽しく働かせていただいています。このような職を得ることができ、本当にお世話になり、心から感謝しております。
勇気を出して
手放したからこそ
得られた働き方
派遣で働く前は、コールセンターで管理者をしていました。仕事にやりがいを感じていましたが、月末月初には必ず残業が発生しました。また、シフト制のため、出勤人数が足りないところは自分で埋めなければならなかったり、休みの日であっても出勤予定だった人が休むと呼び出しがかかったりということがあり、予定が立てられませんでした。 人生も折り返しを迎え、このままでよいのかと考えたとき、自分の時間を確保した働き方を求めて派遣になりました。 おかげさまで、月の残業が合計で10分足らずという、今までからしたら信じられないような職場に通うことができ、生活リズムを立て直すことができました。 忙しいときはスーパーで売れ残りの弁当を買って食べて寝るだけという生活から、毎日決まった時間に自炊した晩御飯を食べるようになり、睡眠時間も十分とれるようになりました。 そして、コールセンター時代に培った電話応対のスキルや敬語の知識を生かして、ブログを書いたり、ストリートアカデミーというスキルシェアプラットホームで講座を開いたりと、自分が本当にやりたいことに時間を割けるようになりました。 もちろん勤務時間が減った分、収入は減りましたが、それ以上にストレスも減りました。 自分の活動を、自分の住んでいる区から表彰されたり、地元紙に敬語にまつわるエッセイを毎週書かせてもらったりと活動の場も徐々に広がってきています。 あのとき、勇気を出して選択してよかった。そして、私の希望に寄り添い、私の適性を見て職場にアサインしてくれたアデコに感謝しています。今の働き方を今後も続けていきたいと思っています。
育児と仕事の両立
現在、4歳手前の子と第二子を妊娠中ですが、仕事をしながら子育てをしている状態のため、仕事の制限を設けながら働いています。職種によっては制限ができない場合もあると思いますが、自分のキャパを超えてしまうと、仕事自体が続かなくなってしまうので、無理のない仕事を選び、理解のある職場で働くということが大切です。私の職場は幸い無理のないよう働かせていただけているため、自分のキャリアを生かしたまま居場所を作ってもらい、楽しく仕事をしています。家に帰っても育児と家事があるため、自分にあった働き方ができることは重要だと感じます。職場での自分の立ち位置も考えつつ、キャリアにあった仕事ができればストレスなく毎日仕事に通うこともできると思います。人間関係など職場での悩みについても、すぐに相談できる人がいるか、改善してくれる職場であるかなど、今一度考える機会があるとよいと思います。私は自分にあった職場で働けているため、今後は育休を取り、復帰する予定でいます。子育てをしていても、また同じ職場に復帰し、そこで待っていてくれる仲間がいると思うと安心して復帰もできます。自分自身が誰かに頼られたり、寄り添える存在になることも大切ですが、派遣会社を通して、よりよい職場を見つけることができるため、自分のキャリアと生活にあわせて、自分にあった職場を探すことができればよいのかなと思います。
苦手だったことが
大好きに!
現在、情報系企業のカスタマーサービス部で、お客様からのシステムに関するご要望やお困りごとを電話対応するという仕事をしています。
情報系専門学校を卒業後、医療系システム開発の企業に就職し、プログラマーの仕事を経験しました。
IT分野に興味があったのは勿論、元々の性格が内向的で人見知りのため、パソコンと向き合って黙々と作業をすることが向いてると思い、この仕事に就きました。
2年後にプログラマーを退職し、医療機関で一般事務を経験し、その後、前職から派遣としてシステム操作サポートという職に就きました。
当初は、電話であっても人とコミュニケーションをするのが仕事のため、不安に感じ、実際、初めの一年は苦戦しました。話す言葉に詰まってしまい、上手に話せない、相手の言葉を取り違えたりと、色々と悩ましい場面に遭遇することがありました。システムのことについては勉強しましたが、コミュニケーション力だけはすぐに身につくものではありませんでした。このままだと、いつまでたっても克服できない、周りやお客様に迷惑をかけると思い、少しでも変わればと、プライベートで一人限定参加ツアーなど、知らない人とコミュニケーションをとるようなイベントや旅行に参加するようにしました。
ここが派遣のよいところで、プライベートの時間はきっちり取れていたため、そういったイベントにたくさん参加することができました。
その結果、少しずつコミュニケーション力の悩みが改善され、業務が円滑になっただけではなく、社交の場に参加することで明るさも出てきて、そのおかげか、職場内の人間関係もよくなっていきました。人間関係の良好さは今の職場でも健在で、おかげ様で悩んだことがありません。
システムサポートの仕事は、前職からあわせて現在6年目。今は自分らしく働くことができるこの仕事が大好きです。
コミュニケーションは一人一人の考え方や表現力も違うため、「できるようになる」というゴールはないため、今でも様々な経験を元に日々学んでいます。
これからも学びながら、楽しく、明るく、そして、お客様にシステムを使って「助かった」、「よかった」と感じていただけるよう目指していきたいと思います。
新しい挑戦
短大卒業後、生命保険や広告の営業、病院の医療事務として働いてきました。正社員として8年間社会人を経験した後、ワークライフバランスを考えた働き方がしたいと思い、派遣会社に登録、金融関連での就業を希望しました。
派遣社員は即戦力として働くことや今までの経験に加えて資格も必要だと思った私は、病院で働きながら週末に学校に通って勉強し、FPの資格を取得しました。
ご縁があって、アデコさんから銀行の仕事を紹介していただき、居心地のよい職場で自分にあった仕事をさせてもらうことができ、仕事もプライベートも充実した日々を過ごしました。
しかし、派遣社員として同じ職場で働き続け、10年が経とうとする頃、「このままでいいのか?」と漠然とした不安が襲ってきました。居心地のよさに安住していつの間にか月日が経ち、年齢も重ね、「このままでいいのか?何か変わらなきゃ。」と、悶々とした日々を過ごしました。
ちょうどその頃、訪日外国人が大幅に増え、社内でも“グローバル化”という言葉が盛んに聞こえてくるようになっていたので、英語を勉強し直そうと思い、友人と言語交流会に行きました。そのことがきっかけで、「日本語教師の仕事がしたい!」と思うようになり、働き方改革が進んできている今の時代だからこそ、ダブルワークを始めてみようと決心しました。
それからは、日本語教師になる資格を取得するため、銀行の仕事を終えた後、日本語教師養成学校に直行し授業を受けることを1年半続け、日本語教師の資格を取得しました。非常勤講師として働く学校もみつかり、現在、銀行の仕事をしながら、日本語教師として週1回4コマ授業させてもらっています。
日本語教師の仕事に出会ったおかげで夢が広がっていき、将来いつか海外で日本語教師の仕事をしてみたいなと思う気持ちが出てきました。そのためには学士の学位が必要になることを知り、ダブルワークを始めると同時に通信大学に編入、現在も大学卒業に向けての勉強をしています。
まさか40才目前にして、自分がこんな新しい挑戦をするとは思ってもいませんでしたが、何才になっても新しいことに挑戦し、夢を持てるんだなと最近思います。去年からコロナの影響で世界中が大変になり、思うようにうまくいかないことも多々ありますが、これからも自分らしく頑張っていきたいと思います。
臨機応変
自分の時間を確保して、家庭と仕事の両立をはかっています。いろいろな仕事にもチャレンジできて、先輩方の話を聞いて、いろいろな考えを知ることができ、スキルアップにもつながります。仕事に行くのが楽しみで、仲間がいる安心感が持てて、外に出る重要さも得られます。次は、どんな仕事をしようかと人生が豊かになり、アデコで派遣のお仕事ができる喜びを実感しています。
アデコで派遣で働く前は、経理の仕事しかしたことがなく、視野が狭くなっていたと思います。しかし、自分には他の仕事もできて、家庭もしっかりとサポートすることができ、自分の時間も得ることができるアデコの派遣の仕事に出会えて、本当によかったです。これからも臨機応変に仕事、家庭の両立をして、毎日幸せな日々を過ごせたらなと思っています。自分の時間には、フィットネスクラブに行って、汗をかいてリフレッシュしています。仕事や家庭での悩みなどあっても、汗をかくと忘れられて、非常によいです。今後は、web関係の資格や語学力を身につけ、経理を生かして、経営学のようなことを勉強して、生涯現役でいることができるよう、毎日過ごしたいと思っています。
コロナ禍の中
だからこそ見つけた、
新しい働き方
都内で貿易業務の仕事に就いていましたが、主人の仕事をきっかけに電車も通っていない田舎へ引っ越すことになりました。
再就職への道は予想以上に険しく、会社の数が非常に少なかったり、片道1時間以上の車通勤であったりと、なかなか希望する事務職の求人を見つけられないでいたところ、アデコのホームページで在宅特集ページを見つけました。
近くにある企業の事務募集にばかり目を向けていた私でしたが、住んでいる地域を問わず応募できるということで、これだ!と思いすぐに応募したところ、リモートでの面談を経て無事内定を頂くことができました。
当初は、初めてのリモートワークで不安もありましたが、毎日チームでミーティングの時間があったり、何かあればコールで上司に相談することもでき、とてもスムーズに業務を行っています。
同僚と一緒においしいランチには行けませんが、自宅で用意した昼食を同僚と雑談しながら食べるひと時は画面越しではありますが、会社に内勤していた頃と変わらずリフレッシュできる大切な時間です。
また、幼い子供がいる私にとっては、通勤時間がかからないことにより、忙しい朝と夕方にもゆっくり子供と向きあう時間が取れるので、プライベートと仕事のバランスが以前より取りやすくなりました。
コロナ禍の今だからこそ出会えた新しい働き方。この職場環境に出会えたことに感謝し、日々の業務を精一杯頑張りたいと思います。
大海原で働くという
キャリアスタイル
大きな旅客船に乗って海上勤務し、まとまった休暇は日本で家族と過ごすという生活を送っています。船では、お客様に船上で楽しくお過ごし頂くための様々なお手伝いをしています。休暇中には、イベントスタッフやコールセンターなど、短期の派遣のお仕事に就き、接客の感覚を失わないように心がけています。
色々な職場を経験することは乗船中、多国籍の方々の中で働く上で、大変役立っています。現在はヨーロッパの船会社で働いているため、通常その船でたった1人の日本人乗組員になります。そのため、自分と異なる価値感や働き方に対して、柔軟にフィットできるように努力が必要です。 フィットするというのは決して相手に合わせるだけではなく、自分を主張するばかりでもない、なかなかセンシティブなテクニックなのです。そのスキルを身につけるには、やはり色々な経験を積むことが一番効果的です。たとえば、コールセンターでは姿の見えない接客業ですので、言葉の選び方や声のトーン、話すスピード、あいづちの効果など本当に勉強になります。 やはり、自分自身を高めてくれるのがキャリアだと思いますので、実に興味深く働くことができるのです。また、イベントで経験したことが自らの特技になったこともあります。節分の巻き寿司を3日間巻き続けるというレアなお仕事をさせて頂いたときに、それまで作ったこともなかったのですが上手に巻けるようになりました。やはり、日本人として巻き寿司が作れるというのは誇らしく、早速船上で船員仲間にふるまって大好評でした。そういうささいなことも、コミュニケーションであり、共同生活では大切です。間もなく乗船ですが、今回は間違いなく皆の話題はCovid19でしょう。ワクチン接種に関わった経験がまた、私を成長させてくれたと思います。
60才を過ぎて、
なお前進。
今の仕事をさせて頂いて、18年目になります。元々は経理の仕事をしており、電話交換は未知の世界でした。職場は、病床数500超え、1000人以上のスタッフが働く病院のため、フットワークの軽さや速さを求められます。マニュアルはあっても、臨機応変に対応する力も必要です。看護師さんの中には、憧れる方も多く、刺激になっています。今でも覚えることが多く、勉強の日々ですが、この仕事に巡り会えて本当によかったと思います。
入った時からSARS感染の仕事に就きましたが、今回のコロナ禍は改めて第一線で働くドクターや看護師さんに尊敬の念を抱かずにはいられません。
どんな時でも博愛・人道の精神を持って、人のために全力を尽くす方々が働く職場であることをコロナ禍の中、改めて感じる毎日です。これからも役立てるよう、全身全力で頑張りたいと思います。
日本と世界をつなぐ、
グローバルキャリアを
掴む!
グローバルな時代への移り変わりを感じ、高校卒業後、単身渡米しました。アメリカの大学では、マーケティングを専攻し、日本と世界を繋げる仕事を目指すことを決意しました。
卒業後、外資系消費財メーカーにて、市場リサーチから商品企画やプロモーションなどのグローバルプロジェクトを担当する過程で、日本で販売する洗剤をアメリカで製造するため、日本に馴染みのない人に日本のことを理解してもらうのには本当に苦労しました。そもそも、アメリカでは洗濯物を外に干す習慣がなく、洗濯文化・洗濯機・水質・洗濯物の汚れや種類・香りの好み・規制など、あらゆることが日本とは全く異なります。日本の洗剤をアメリカに送り、商品を理解してもらい、洗濯機の違い、洗濯文化や汚れが落ちにくい食品の説明まで丁寧に根気よく行ったことで、日本のお客様のニーズにあった商品を無事に発売することができました。価値観や文化の違いを理解しあうことは、グローバルビジネスに最も重要なことだと確信しました。
その経験を生かし、現在は専門商社にてヨーロッパ・アジア圏から商品を輸入する貿易実務を行っています。
海外とのやりとりは、異文化や多様な価値観を持った人々とのやりとりが多いため、複雑性や多様性が生まれ、思った通りにいかないことは日常茶飯事です。
ですが、自分と全く異なる環境や価値観との出会いを楽しむことを重視してみると、新しい発見やアイディアに繋がります。
また、遠い国のことを身近に感じてもらうために、まずは自分が相手のことを理解しようとすべく質問を投げかけ、現地のリアルを理解しようとする姿勢で向きあいます。そうすることで、相手も日本のことに関心を持つようになり、スピード感、意思決定プロセスの精度が上がっていきます。
うまくいかないことが、新しい発見に繋がり楽しみに変わっている毎日です!
グローバル化がさらに進むため、ビジネスの対応国を増やす目標を掲げています。出会ったことのない国の人の文化・価値観を理解し自分が日本の代表だという意識で、日本と世界をさらにつなげていきます。
子育てと仕事の両立
正社員だった頃、第一子育休明け直前に第二子妊娠が発覚し、次の産休まで休職することになりました。
第一子は保育園に預けており、時間を有効活用するためにダブルワークで派遣社員として働くことにしました。
正社員ではSEとして働いていましたが、派遣社員では様々な職種から仕事を選ぶことができるため、妊娠中でも無理なく働けています。
未経験でもいろいろな仕事にチャレンジできたり、SEでは身につけられないスキルを身につけることができたりするため、派遣社員として働くことができて良かったと思います。
子育てと仕事の両立はとても難しいと思いますので、正社員として復職していたら、派遣社員よりも時間の融通がきかず、何度も挫折してしまっていたかもしれません。
しかし、難しいと分かっていても、初めて自分が挑戦したいと思えたことをやってみることが大切なのではないかと気付き、派遣社員としてまずは子育てと仕事の両立の練習をしてみました。最初は子供も私も疲れてしまって、体調を崩すこともありましたが、挑戦することの大切さを知れたことは、今後の成長にも繋がると思います。
そして、派遣社員時代に苦戦した経験を生かして、子供を支えていける親になることが今の夢です。
働くママ
アデコから紹介していただいた派遣先で働き始めて1年が過ぎました。
結婚、出産、育児、パートを経て、15年ぶりのフルタイムでの仕事復帰でした。
仕事を始めた当時は息子が中学2年生、娘は小学6年生。
帰宅後の夕飯作り、毎日できるかな?家の中が汚れたり、荒れてしまうのではないか?子供たちに何か影響があったらどうしようか?と不安でいっぱいでした。
ところが、働き始めた途端、娘が毎晩お米を研いでご飯を炊いてくれるようになり、息子もお風呂洗いなどできる限りの家の手伝いをするようになりました。
私もよいのか悪いのか分かりませんが、子供たちの細かい部分に目が行かず、叱ることがぐんと減りました。
私の就職と同時に新型コロナウィルスが流行り、主人が100%在宅勤務になったのが一番ありがたかったです!
主人が家にいてくれると思うと、安心して外で働くことができました。
このたび、娘が小学校を卒業しましたが、卒業前の最後の参観で読んだ作文のタイトルが「働くママ」でした。「毎日頑張っていてママはすごい」という内容で本当に励まされましたし、嬉しくて涙が止まりませんでした。
このような機会を与えてくれたアデコには感謝しております。
できる限り、長くお勤めできるようにこれからも邁進して参ります。
ワーママでも
高度な事務へ
私は2児の母親です。
よくある母親の悩みとして、仕事の問題があると思います。
しばらくは専業主婦になり、子育てが落ち着いてから仕事をするか、出産後も仕事を続けるか。私自身も迷いましたが、仕事を続けることにしました。その理由は、育児休暇中に「自分は専業主婦に向いていない」と分かったからです。もちろん、専業主婦も家や家族を守る大事な仕事です。しかしながら、私自身は「今日も誰とも会話しなかった」「生産性のない一日だった」「買いたいものがあっても自分の貯金が減っていくだけの生活」という後ろ向きな気持ちのほうが勝ってしまったのです。
仕事を続けているほうが、社会とつながっていられる、少しでも社会や企業に貢献できる、身なりを整える習慣がつく、自分でお給料を得られる、そのお給料で好きなものを購入できるなど、たくさんのものが得られます。
母親が自分らしくイキイキしていられること、笑顔でいられることは夫や子どもへ優しく接することにもつながります。また、子どもが幼いころから保育園で同年代の子どもと過ごすことは社会性や思いやり、自立を学ぶ機会にもなります。
ありがたいことに、このご時世でも仕事をさせてもらい、自分らしく働くことができています。少し紹介すると、毎朝4時に起きてから5時までの1時間を自分だけの時間として確保し、ゆっくり過ごしたり、勉強したりしています。電車通勤時以外は常に全力ダッシュで移動し、家事育児に振り回される生活でヘロヘロになっても、21時には子どもたちと就寝します。あわただしい毎日ですが、しっかり生きていると感じられます。
そして、欲張りな私は、もっと事務員としてスキルアップするためにMOS Excelエキスパートを取得し、職場では関数やマクロを利用して全体の業務効率アップに貢献しました。現在は、Javaや他の言語にも興味がわき、高度な事務を目指しています。幼い子どもがいる母親だからこそ気が付くことや気配りも仕事に役立っています。
自分らしく働けることは、とても素敵なことだと思います。
生涯現役で働く
ために、派遣を選択
してきました
私が派遣社員として働くことになったのは、大学卒業時期が就職氷河期と重なったことが大きかったと、振り返って思います。派遣社員から正社員になる機会もありましたが、私は「派遣」という働き方を選びました。一番の理由が、生涯現役で働くために手に職をつけていきたく、さまざまな経験をしたかったからです。
今思えば、「正社員も経験の一つとして選択しておいてもよかったのかなぁ」と思いますが、それは今だからそう思うのであって、当時は迷っても派遣を選んだのです。結果として、今目指していることは、これまでの取捨選択の繰り返し(よくも悪くも)をしてきたからこそ、たどりついたのだと思います。
今、私は第一の目標として、産業カウンセラーの資格取得を目指しています。これをきっかけに、生涯現役で働く土台作りをしていこうとしています。
現在の仕事は、コールセンター業務です。この仕事も、本来私が目指す仕事に役立つと信じ、前向きに取り組んでいます。そう思えるきっかけを頂いたのは、キャリアコーチです。キャリアコーチからのアドバイスを受けたことで、派遣先都合の異動でコールセンター業務に就くことになったことも、プラスに考えられるようになりました(派遣先都合ではあるけれど、転職せずにコールセンター業務を選んだのも私自身なんですよね)。
先日、産業カウンセラーの試験を受験しました。派遣で働いてきたからこそ、生かせることがあると信じて、前向きに現在の仕事をしつつ、必要に応じてキャリアコーチに相談しながら、目標達成に向けて頑張っていきたいです。
20年ぶりの派遣で
見えたこと
派遣のお仕事は、フリーランスの仕事の傍ら、シフトを自由に組み合わせられるお仕事があればと、登録したのがきっかけでした。
派遣社員という肩書きになるのは20年ぶりで、登録手続きも勤怠申請もスマホ1つでできてしまう環境に少し戸惑いながら、丁寧なマニュアルと現場の人達に助けられて楽しく働くことができています。
テレオペレーターの仕事では、顔が見えないお相手様の言葉や声のトーンに気を配り、状況やお気持ちに配慮しながら対応すること、できるだけ短時間に必要な情報を伺ったり、お伝えしたりすることを心掛けています。最近は、次の入力作業の方へ情報を伝達する上で、内容を絞り込んだり、手書きのメモを読みやすい字で残すなど、繊細な部分も見えてきて、視野を広げて対応ができるようになってきています。
マニュアルが丁寧に作られていて、お電話いただく方から感謝や励ましのお言葉をいただけることもあり、いっそうのやりがいを感じる時間も増えています。
一緒に働く人達と情報交換もしながら、さらにきめ細かな対応ができるようになったり、なかなか見ることのできない派遣先企業や業界のシステムが自分の仕事の勉強になったり、今は毎日がとても刺激的です。
必要なときに必要な現場に行って様々な仕事ができる楽しさも派遣という働き方の魅力だと思います。
今後も様々な業界やお仕事に出会えることを楽しみに頑張って行きたい思っています。
新しい自分が
見えた日
転機は突然に訪れた。それまで数年間、私は中間管理職として多忙な日々を送り、心身の疲労が積み重なっていた。
押し寄せるタスク、顧客からの問い合わせ、部下からの数々の依頼、会議が始まると上司が放つ理不尽な言葉に重苦しい空気感…。現状への違和感は限界近くに達し、体調も悪化していた、それでも自分をその場にぐっと押しとどめる見えない力に逆らうことができないままでいた。
そんな日々の中、職場近くのお気に入りのカフェで一人、昼休憩を取っていた時のこと。携帯の音が鳴り、一通のメールに気が付いた。開くと、自宅から近い私立大学が派遣社員を募集している、というアデコからのメールだった。いつもは読んでもすぐにメールを閉じていたが、その日私は少し興奮しながら、しばらく求人詳細を読み続けた。短い文章だったが、何度も読んだ。実は、そのメールを読み始めた瞬間に、明るい木漏れ陽と風を受ける自分のイメージが浮かんで見えたのだ。
昼休憩が終わる頃には、私の心は定まっていた。偶然をチャンスに変えることが、転職成功の秘訣の一つだと言われている。
アデコ担当者の力沿えもあり、希望した大学での勤務がすぐに始まった。
そして、半年、派遣としての働き方は、初めは慣れない部分もあったが、正社員時に比べて自分の時間が取りやすく、以前からやりたいと思って準備してきた地域支援プロボノ活動やコンテンツライターの副業も開始することができた。
目指す次のステップに向けて、また新しい自分を見つけるためにも、派遣社員として穏やかに就労が続けられている「今」に感謝している。
仕事を楽しみ
成長する
今のお仕事でどれだけ刺激を受けて自分が変わった!と思えたかをお伝えしたくて応募しました。
今の派遣先企業で一般事務のお仕事をさせて頂くことが決まった時、これまでの事務経験を生かしたいという気持ちとは別に、もうひとつ楽しみにしていることがありました。
それは、就業する部署が、海外とのやりとりを専門とする部署だったので、憧れの国際的なお仕事に少し近づけるという点でした。
初めは、経理的なお仕事に苦労をしましたが、皆さんが一から教えてくださり、こなしていくうちに、だんだんとできるようになっていきました。
そのうち、海外の案件のいくつかを担当させて頂き、それぞれチームの一員として迎えられ、海外出張準備のお手伝いや精算、外国人研修のサポートなど、今までやったことがない仕事にもチャレンジをさせて頂く機会に恵まれました。なかでも外国人研修はいろいろな国の方と接する機会もあってとても刺激的でした。
食事を共にしたり、懇親会では日本の七夕を紹介して短冊に願いごとを書いてもらい、皆さんに喜んでもらったり、数々のよい思い出があります。
英語をもう少し分かるようになりたい!と勉強を始め、少しずつですが、いらした方ともコミュニケーションがとれるようになってきました。
なかでもタイの方の結婚式に呼んでいただいたことはとても嬉しかったです。
大人になった今からでもまだまだ新しいことにチャレンジできる。失敗しながらも何かしら出来るようになって来た時の喜びはひとしおです。
ほんとに今の環境に感謝しています。勉強することは沢山ある!これからも成長していきたいです。
自分らしさを
大切にした
働き方
高校卒業後24歳まで一般企業にて働き、その後子育てを経て、40歳を過ぎて再び仕事をするようになりました。現在62歳、とてもキャリアウーマンとは言えませんが、まじめにコツコツとをモットーに今まで働いてきました。長くいろいろな職場で経験しているうちに、「どうしたら自分にとってやりやすいか?」を考えるようになり、要領をつかむようになったと思います。若い頃は、人間関係に思い悩んだこともありましたが、歳を重ねるにつれて、肝も据わってきました。相手によっては接し方も変える必要がありますが、やはり礼儀、謙虚さが重要であると知りました。思ったことがあれば、一人で悩まず、仕事仲間に相談し、自分勝手な判断はやめて、確認することによって、人も仕事も味方になるということが分かりました。また、長く働くためには、ONとOFFの切り替えも重要だと思います。私は、音楽が好きでよく通勤時や家でも聴いており、たまには夫と一緒に海外、国内を問わずいろいろなところに旅行に行って、リフレッシュしています。今の日本は長寿となっており、年金だけでは不安ですので、これからもスキルアップに努め、70を過ぎ80歳になっても働けるように健康に気を付けて頑張りたいと思います。
十人十色以上
組織・業種・職種により、様々な業務形態とそこで働く人の性格に違いがあると思います。特に、そこで長く働く方の中は、様々な形態の一つの中にいるとしても、それが当たり前となり、それが常識のような考え方になってしまう場合もあるように感じます。一方、派遣社員は、就業期間が一定期間だったり、様々な組織で多くの経験や考え方を見てきていることに、強みがあると思います。人間関係やコミニュケーションにおいても、そういった多くの経験が柔軟な対応や考え方、真摯な姿勢を引き出してくれます。また、派遣社員の仲間はどの職場にもいることが多く、お互いの気持ちを一番理解しあうことができます。本当に明るく、愛想がよい方が多いのも、派遣社員のよいところだと私は思います。お互いに助けあい、快適に過ごせるよう、声を掛けあうと、より働きやすい職場になります。正社員と比較して、ネガティブな面を感じることもあるかも知れませんが、悪い心は決して持たず、真摯に業務に対応すれば、見ている方は必ずいると信じて毎日を行動するとよいと思います。
趣味が後押しする
「仕事モード」の私
私は仕事、家庭、趣味のバランスを大切にしています。
平日は、通勤を含め仕事に約10時間ほど時間を割いていますが、仕事前後の家事と趣味で、自分の中の「モード」を切り替えるようにしています。
昨年4月からの約1年間、ほぼ在宅勤務だったため、朝の出勤前は趣味の家庭菜園、出勤後は家事とランニングと、行動とともに自分の中の「モード」を切り替える時間をもつよう心掛けました。
趣味の中でもランニングは、派遣先で自己紹介や雑談で話題を出すと、職場に1人は取り組んでいる方がいることが多く、顔や名前を早く覚えていただけたりと仕事上でもメリットがあると感じています。
全国各地でマラソン大会が開催されるランニングは、元々運動が苦手で体力づくりの目的から6年前に始めましたが、今では自分を輝かせてくれる時間です。
マラソンを完走したときの達成感は格別です。「自分にはできない」と思い込んでいたことが、日々のトレーニングの積み重ねと意志で達成できたことは、自分の誇りになるだけではなく、「仕事モード」の自分へ、今よりハードルの高い業務へ挑戦するときの後押しになっています。
約1年半続けた英文事務から、通訳業務のある職へ転職を経験しました。選考が進み採用が決まった後も、「今の自分には経験が足りないかもしれない」と思いましたが、転職までの準備期間に英会話教室への通学とTOEIC試験に取り組みました。その甲斐もあり、困難な場面や苦労もありましたが、新しい業務へ携わることができました。
今後の抱負として、他県の大会へ出場する趣味の「旅ラン」を海外大会の出場へレベルアップして、「仕事モード」の私へ還元できるよう取り組みたいです。
仕事も
プライべートも
大切に
私が「派遣」という働き方を選んだのは、結婚がきっかけです。その前までは正社員で働いており、勤務地まで2時間近くかけて通い、フルタイムで働いていました。
朝も早く、夜も帰ってからご飯の支度や家事に慌ただしく、毎日心に余裕がありませんでした。結局、結婚を機に退職しましたが、やはり少し働きたいと思い、就業時間や勤務地、残業ボリュームなどで選べる「派遣」での仕事を選択しました。
基本的に残業がない仕事を選んでいたので、終わったら速攻帰りオフモードに。しっかりオンオフ切り替えることができ、毎日が充実していきました。
他に派遣のよいと思ったことはどのような仕事をするのかをしっかり事前に聞けることです。就業場所の人数構成や、同じ業務をやっている人はいるのか、派遣社員はいるのかなどの情報が事前に分かるので働いているイメージがしやすく、ミスマッチが少ないかと思います。
現在働いている就業場所では自分の担当業務がしっかりあり、自分のペースで仕事を進めることができ、私にはとても向いていると思っています。
仕事もプライベートも大切にしていきたい私に「派遣」の働き方はとてもあっています。
これからもこのバランスが崩れないよう仕事とプライベートを両立させていきたいと思っています。
60代最後に社会人に
なって最初のアルバイトを
させていただきました
もうすぐ60代とお別れする歳に、学生時代以来のアルバイトをアデコのおかげで経験させていただいております。今、話題のコロナワクチン接種のお手伝い。2020年末までは、自動車製造や関連部品の会社や政府のODAのお手伝いなどを担当し、社会人生活の半分は海外絡みで無茶をして働いていましたが完全に退職、2021年に入って家でぶらぶらしてました。何か資格か勉強でもと思ってTOEICや工事管理士の勉強などを始めたのですが、目的のない志はなかなか前に進まず、会社から強制でもされないと腰があがらないことに気が付きました。まだ辞めて間が無いので、ワンポイントリリーフみたいな依頼もごくたまにあり、そこで活動することもあるのですが、わずか6か月でいろんなことを忘れていたり、向こうの技術者と話しても自身で話のキレがなくなったことに気付き、どんどんナマケモノになる自分を自覚してしまい嫌になっていたところ、見つけたのがアデコの今のお仕事です。
結論は兎に角「目から鱗がおちる」です。仕事は単純ですが、自分にとっては全くの別世界で、今まで日替わりで襲ってくるトラブルを次から次へと畳み込む緊張や難しさはないものの、みんなで役割分担を決め、正しく老若男女があれやこれやと、同じベクトルでのお仕事。でも、女性の方が圧倒的に多く、仕事の中で生まれるコミュニケーションは今まで未経験のノリと感性でとまどいの連続、そして面白いこと!しかめっ面した取引先や海外工場のお歴々と胃が痛くなるような仕事しか知らなかった自分はこういう世界にビックリです。技術力、知見や経験で動く現場でもコミュニケーションは当然必要ですが、理論でねじ伏せるような強引さや融通のなさは全くなく、みんなと同じ目線で語り合える人間力とセンスが必要です。まだこうしたことに気が付いただけでほとんどついていけてませんが、試験勉強とは違った人生勉強ができるのは大満足。アデコの業務はまだ始めて2か月で、あと2か月(合計4か月程度)の短期決戦ですが、みんなの足を引っ張らないよう謙虚にがんばろうと思います。今回の積み重ねが次の仕事に結び付けられれば最高ですが、期待も半分の年齢でもあり、そうなるように努力いたします。
それにしても、短期の業務にも拘わらず、アデコの就業者へのフォローや支援が凄いです。システムや体制がしっかりしているのには驚かされました。
やりたかった仕事が
今できる喜び
高校を卒業後、上京してホテルの料理人に就職しました。
特に凄くやりたい訳ではなく、学歴も能力もない私に自信があったのが体力だったため、料理人ならやれそうだなと少し安易な考えでした。案の定、料理の世界は厳しく、数学、科学が意外と大切で、私は日々の最低限の仕事をこなすので精一杯でした。
辛く大変な日々を約7年過ごしたある日、地元の同級生と久しぶりに出会い、仕事について色々話をして自分に足りない物が沢山あると気付きました。20代の内に色々チャレンジしないと30歳になった時、もっと苦労すると思ったのです。
そこで就職活動に利用したのが、派遣会社でした。未経験でもチャレンジでき、しっかりとした研修期間があるため、分からないまま仕事をするのではなく、理解して分からないことは聞ける環境を紹介して貰いました。
今は紹介して貰ったカメラメーカーの職場に約5年勤めています。
元々小さい頃、壊れたテレビを分解して遊んだり、プラモデルを1日中組み立てても飽きないくらい分解組み立てが好きでした。今は毎日楽しく、カメラ修理の仕事をしています。そのカメラメーカーは有名な会社なので、派遣での就業ではありますが、そこで働けるのは凄く誇りであり、正社員の道が少し見えてきて、今後の人生にとって大事な仕事になりました。
今の仕事を通して、色々なことにチャレンジをするチャレンジ力が身についたと思います。
現在、30歳になりましたが、これからもどんなことにでもチャレンジする人生を歩んで行きます。
整理収納
アドバイザーへの夢
私が「整理収納アドバイザー」になりたいと思い、実際に行動へ移したのは、2021年5月でした。2度の自宅新築をした際、間取りや収納などを考えたり、建築について勉強する中で整理することにより、時間の節約、ストレスの軽減、無駄な買い物をなくすという多くの経験が私の意識を大きく変え、人生も変化させていきました。
そして、「整理収納アドバイザー2級」「整理収納アドバイザー準1級」「整理収納アドバイザー1級1次試験」に合格。現在仕事をしながら、1級の2次試験に向けて、プレゼン資料を作成しています。
コロナの影響で、子育てで忙しいママさんはなかなか外出ができずに、ストレスを抱えてしまい、誰にも頼れずに自暴自棄になってしまう方も少なくはありません。
私はそんなママさん、近くに頼れる親族がいない高齢者の方々、または学校で子供達のために毎日必死に教育現場を盛り上げようとしてくださっている先生方のストレスが減り、大切な時間が増え、笑顔で過ごせる日が少しでも増えるお手伝いができたら、こんなに嬉しいことはないと思っています。私は「整理」によって、一人一人の人生が明るくなるお手伝いがしたいという思いでいっぱいです。
現在、仕事をしながらも、職場環境をもっとよりよくできないかも模索中です。
モノと人とが向きあい、そして時間が生まれ、ストレスが減る。そして、モノを買う行為一つ一つに丁寧に向きあえる。それらの行動によりゴミも減る。凄く素敵なサイクルではありませんか??私は、この夢のために日々モノと向きあい、1日でも早く実現出来るように努力します。
子供だけでなく
私も一緒に成長
している毎日
私には2学年差の子供が2人おり、アデコには下の子が3ヶ月で保育園が決まった頃からお世話になっています。初めの1年は本当に大変で、子供も私も無理かも知れないと思うことばかりの毎日でした。キャリアコーチの方にはたくさん助けていただき、営業担当だった方には本当にご迷惑をかけてしまったと思います。結局、1年で別の仕事への転職を考えた時も、1年間の丁寧な対応や信頼があるアデコにお願いしたいと思い、他社は受けませんでした。子供の成長とともに、また新たな仕事をしたいと思った時、現状以上を求めず、成長も見込めないのは負担はないかもしれませんが、成長を求めている私には物足りないかもしれない、と考えてくださいました。でも、あくまでも家庭ありき、無理はしないで済むようにと考えてくださったり、本当に頭が上がらないくらい、お世話になりました。
おかげで今、子供たちも成長してきて、生活もだいぶ以前よりは落ち着き、私も子供たちとともに成長できている気がします。「早く大人になりたいな〜、ママみたいにお仕事する!」なんて言われるくらい娘から楽しそうに見えている毎日なら、頑張った甲斐があるなと、小さい頃から預けていたことでどこかに感じていた負い目も払拭されました。
これからもっとどんどん子供たちが成長していくとともに、私も負けじと成長していけるとよいと思っています。
クライアントと
心で繋がる
「掲載費の支払いが厳しいので解約させてください。」
現在、このような言葉をクライアントから毎月何度も言われるようになりました。コロナ禍の影響により、私が営業として担当していたクライアントである飲食店は大打撃を受けていました。度重なる緊急事態宣言による時短営業も続いており、どのクライアントも厳しい状況で、担当していた店舗が閉店してしまうのを見ることも増えました。
どうすれば少しでも集客や売上を伸ばすことができるのか、自身の経験や知識を生かしながら、提案を行いましたが、積極的に提案を受けてくださるクライアントと既に集客を諦めてしまっているクライアントが半々でした。
自分自身も、飲食店はこの先どうなってしまうのか、世間はどうなってしまうのかという不安な気持ちにもなる日々でした。しかし、ネガティブになってしまっているクライアントに対し、自分ができる対応を精一杯しようと思い、明るい声色やスピーディな対応を意識して仕事に取り組みました。
結果的に、経営難により解約をせざるを得ない状態になってしまったクライアントもありましたが、「大変な状況ですが、これからも頑張っていってください。」とお伝えしたところ、「ありがとうございます。その言葉が一番助けられます。」と声を震わせながら言ってくださる店長さんがいて、どんな状況であっても目の前の相手に寄り添うことが大切なのだと感じました。
まだまだこの先どうなるか分からないですが、まずはクライアントに寄り添って、心で繋がれるようになろうと思います。
私らしく生きる
私は派遣社員として働きだして10年近くになりますが、それ以前は正社員として20年程働いておりました。独身期は新橋で営業事務で働いておりましたが、結婚を期に辞めて、自宅から近くの不動産業で働きはじめました。その当時はまだ子供が幼く、何かと熱を出したり、お迎えがあったりしたため近所の職場は本当に私にとってありがたかったです。長男はそれほど手がかからなかったのですが、次男は重度のアトピー性皮膚炎だったため、職場にはかなりご迷惑をかけてしまい、休みが多くなりがちでしたが、それでも周りの方の協力を得ながら働いてこれました。その後、三男が産まれ、保育園に入ったあたりから、子育てのために残業がなく、勤務時間も選べる派遣社員として働くことにしました。本当に、正社員とは違い、希望条件で働けるということと、何と言っても仕事を選ぶことができるという魅力に取りつかれ、以後私は派遣社員として働き続けています。仕事も生活をする上ではとても大事ですが、私はやはり家族を優先し、何より子供の成長を見守りたいので、今の私にはこの働き方があっていると思っています。三男が成長するまで、あと最低でも10年(長い!)は働かないといけないので、健康と食事にも気を付けて、頑張っていきたいと思っております。
新しい挑戦
社会人になってから、一度仕事を辞めて、海外へ留学をしたので、帰国してからは今までとは違う分野で働きたいと思い、仕事を探しました。条件は一つ、英語を使う業界であること。それで見つけた会社が、今働いている船会社です。オフィスにいる職員は日本の方ですが、やりとりは英語が半分。英語は得意な方なので、面白そうと思って気軽に入りました。ところが、慣れない業界用語がたくさんあり、毎日分からないことだらけ。洗濯機の中にいるような目まぐるしさ。大変なところに来てしまったと最初は思いました。船が毎日日本を出発し、世界中の港に行きます。それに間にあうようにお客さんから貨物を引き受けて、世界のどこかの人へ渡すまでが、船会社の役目です。それを私たちは毎日貨物をどう運んだら目的地まで運べるのか、ライブの海の状況と見比べて、臨機応変に対応していきます。毎日毎日港の名前や船のサービスと格闘するうちに、小学生の時になんとなく覚えた世界地図がリアルな世界として感じられるようになりました。最初はラスベガスなど、有名な都市の港しか分かりませんでしたが、働くにつれてアントワープやフェリクストゥなど、ヨーロッパの主要な港を覚えていくと、まるで船で世界を旅している気分になります。もともと海外旅行が好きだったので、このご時世ならではのバーチャルな旅の楽しみ方ができる仕事だと思って楽しんでます。
自分らしさを
大切にした働き方
私は、昨年の9月から大手有名自動車メーカーで働いています。
今回のキャリアストーリーで「私らしく働ける職場」「私らしい働き方」について語るのですが、まず働き方に関して、今の派遣先企業はコロナ対策として、派遣社員にも在宅勤務を認めてくださっており(緊急事態宣言などの状況により出勤頻度は変わる)、通勤で無駄なエネルギーを使ったり、感染の心配をしたくない私にあっていると思ったのが志望動機の一つでした。
実際に在宅勤務を始めてもうすぐ1年になりますが、Teamsやスカイプを活用すれば、職場の方とのコミュニケーションもとれるし、自室でリラックスしてとても私らしく働けています。
自動車メーカーですが、派遣先部署がMaaS・Sharedグループなので、仕事内容は車そのものだけでなくカーシェアや車のサブスク購入、スマートシティ、自動運転を扱っています。そのため、自動車免許を返納した私でも、いや、返納した私だからこそ内容に興味を持って取り組めています。派遣先企業の今後にも車社会の未来にも大きな希望を感じています。現在の職場で日々私らしく、お仕事させていただいており、感謝しております。
できることと
やりたいこと
「研究開発職の仕事に興味はありますか?」事務職の仕事を探していた私に声をかけてくださったのは、キャリアコーチの間(はざま)さんだった。その募集中の職場には、以前事務職として派遣されていた経験があり、他部署だったが、職場の雰囲気は想像できた。しかし、初めての職種。聞くと、「ドライバー工具が使えるレベルから始めてもらえれば」と派遣先はおっしゃっているとのこと。我が家はDIY家族。父や祖父はドライバーやノコギリを沢山保管していた。近所の屑鉄工場の脇道に溢れ落ちていた黒光りするナットを見つけては、綺麗!と目を輝かせていた幼少時代の私。「研究開発職」は想定外ではあったが、心が踊った。
業務内容を聞くと、精密機器や重量のある治具を扱い、汚れる仕事で、作業服と安全靴は必須とのこと。実は、以前の職場でも実験場があり、その高度な器具やキラキラした研究者、研究内容に触れる機会があり、憧れを抱いていた。
「私でよければまずお試しでもいいのでやらせていただけないでしょうか。」恐る恐るではあるが、弾んだ語気でお訊ねした。
それは今から3年前、研究開発職として初めて採用された時のエピソードだ。
2年前には、作業上の課題を適所に相談するなど、事務職の時に培った人脈を生かした仕事に力を発揮した。
3年目の今、私は「ドライバーを使える作業員」から、「試験準備を専任、計測も任される作業員」となった。必要な資格も自身で取得した。洗っても取れなくなってきた作業服の汚れ。しかし、「作業服似合うね。」と、同僚の笑顔が嬉しい。今後も職場の方々に育てていただきながら、皆様にも貢献できるよう、できることを増やし、技術を磨いていきたい。
この仕事をご提案いただいた間さん、今を支えていただいているアデコスタッフの皆様にも深く御礼申し上げたい。
私のできること、やりたいことを引き出してくれて、どうもありがとうございます。おかげ様で自分らしさを大切にして働いています。
仕事と家事・育児、
更に高みへ
中学3年の娘、小学6年と3年の息子がおります。朝5時半に起床して、お弁当を作り、流れ作業のように洗濯、子供達を起こし、学校に送り出し、自分も出勤。仕事から帰ると、晩御飯の支度から始まり、食事をして、片付けて、洗濯を片付けて、お風呂に入って……と、ひと息つく間もなく寝る時間がやって来ます。どちらかと言うと我が家では、主人の協力を得られないので、全てを自分一人でこなさないといけません。仕事中は唯一、自分が解放される時間と言っても過言ではありません。
今年の4月から、アデコさんにお世話になり、金融機関で勤務をしておりますが、毎日の業務を続けるなかで、お客様への対応であったり、知識の構築であったりと、自分自身への課題が多く見つかり、その課題をいかにクリアしていくか、奮闘中です。
さらに、仕事を通じてもっと自分を高めたい!と思えることもありました。
職務上、相続の案件にも携わるのですが、司法書士や行政書士の方とのやり取りをすることもあり、自分の知らない分野なのですぐに返答ができないことが多いです。それが悔しくて、何よりもその分野に興味が湧いてきて、勉強してみたい!と思うようになりました。今は、休憩中や家事のすき間時間、子供達が寝たあとなどの時間をさいて、行政書士の資格取得勉強をしています。
毎日、怒涛の勢いで時間が過ぎていくので、さすがに土日はゆっくりしますが、日々の運動不足解消のため、子供と一緒にウォーキングをしたり、スポーツセンターのプールで遊んだりと、ストレス発散も欠かしません。私の場合は、職場環境にスゴく恵まれていると思うので、職場でストレスを感じたことはないですが……(笑)日々、仕事と家事・育児・勉学と、気の休まることがあまりないかもしれませんが、これからも自分を奮い立たせながら、何よりこんな母の背中を見て成長してくれるであろう子供達の手本となれるよう、努力していこうと思う次第です。
仕事も子育ても、
おもいっきり
楽しむ♪
新卒で正社員として就職し、結婚を機に退職。長男を妊娠するまで経理補助として派遣で働きました。
長女を出産して約2年後から銀行の店頭での受付やATM操作ご案内をいたしました。立ち仕事で、保育園と幼稚園の子供の育児をこなしておりましたので、1ヶ月で3キロも痩せました。真面目にコツコツと勤めていたこともあり、おかげさまで賞もいただき、楽しく働いておりました。しばらくしてから、もともと正社員で働いていた会社の別支店で派遣社員を募集しており、時給も条件もよかったため、応募し、その会社での勤務を始めました。この時点でもまだ保育園と幼稚園の送迎がありましたが、電動自転車と車を駆使してなんとかフルタイムの仕事をこなしていきました。時には仕事でミスをしてしまい、残業ということもありました。20名ほどの支店でしたが、子育て中ということで、かなりお気遣いをいただきましたが、正社員の時の実績もあり、精一杯頑張らせていただきました。残念なことに吸収合併で派遣勤務は終了となってしまいました。次は事務の仕事に憧れ、時給も納得の金額だったため、電車通勤で1時間の仕事にチャレンジしました。女性だらけの職場で日々緊張しておりましたが、だんだん居心地もよくなり、さらに子育て中の方が多かったので、職場の理解はこちらの会社でもたくさんありました。主人の海外勤務の帯同を経て、また新たな会社でお世話になっております。今回は、勤務条件を主に仕事探しをしており、ピッタリの職場が見つかりました。初めての業界ですが、毎日刺激的です。子供達も大きくなり、お迎えがなくなったので少し長く働けるようになりました。楽しい仲間との毎日のお昼休みも飽きることなく、話が尽きません。
エネルギーの源
毎日のお仕事を精力的に楽しく行うためには、週末の過ごし方がとても大切だと感じています。私にとってのエネルギーの源は、着物です。 週末に着付け教室に通うようになって、3年程になります。初めは自分自身が着物を着られるようになるために「自装」を習っていましたが、現在は、人に着付けられるように、「他装」を習っています。 日本の伝統衣装を大切にしたいと思いますし、洋服にはない着物特有の所作やマナーも身に付き、学べることがたくさんあります。 何度も、コツコツと繰り返し、次はどこを改善すると更に美しく着付けられるかを考え、丁寧さを大切にしつつ、スピードも意識します。 絹を身にまとい、帯を締め、背筋がピンとなり姿勢が正されます。 そして、着物や帯の種類は、多種多様で、多くの熟練した職人技がいっぱいです。 このことは、日々の業務改善にも生かせる大切なことと感じます。 姿勢正しく座席に座り、正確で、スピーディーなデータの入力をし、共に働く仲間の仕事が円滑に運ぶように意識し、感謝しつつ業務をこなしていきたいと思います。
コロナ禍で、お稽古に通えない期間があったり、自粛期間は着物を着ることを遠慮したり、思うようにいかないこともありますが、笑顔で自分らしくあるために、これからも着物を大切にします。
自分を起点に考える
大学では心理学を専攻しましたが、特に探求したい分野もなかったし、親に負担をかけたくなくて大学院には進みませんでした。
就職氷河期で、キャリアカウンセラーなどは大学にはおらず、就職課は仕事を紹介する場所でした。周りが就職するから、当たり前のように就活をスタートし、内定が出ない状況が続くと、とにかく就職しなければという気持ちでした。秋に証券会社から内定をもらい、就職できてよかったと思いました。ただ、自分がそれをしたいのか深掘りせずに、やみくもに正社員になるということを目的に就活しても、私の場合、よい結果は得られませんでした。証券会社になじみはなく、今ではあわなかったと言えますが、当時は周囲に合わせることにエネルギーを費やし、体調がすぐれないという理由で辞めました。その後は転職を繰り返しました。
今思うと、自分はこれをやっていくんだというコミットはなく、行き当たりばったりでした。どこかで、違うとは分かっていても、何をしたいのか分からなかったです。ご縁があった仕事を深めていくにしろ、自分で決めてそれをする主体性と、これは嫌(回避型)ではなく今はこれをやってみよう(目的達成)という考えがあれば上手くいきやすいと思います。
職場では評価されるようになったけれども、自分にしっくりこなかったので、不満やこのままでいいのかなという考えが常にありました。
10年ほど前から職場の外で興味のあることを学び、いろんな職業の人に会い、今年はオンラインで世界的に有名な心理学の博士から講義を受けることができました。パンデミックにより、良心的な価格で、通訳付き、限られた人だけでなく、受けたい人は受けられるオンライン講座が一気に増え、大変な時期ですが、教育の機会は広がったと思います。
鍼灸師という資格を生かし、心と身体両方からアプローチできることを、どんな風に役立てようか、どうしたら一番喜んでもらえるか考えながら構築していきたいと思います。
中途半端な不器用
「意外と不器用なんだね」周りが思うほど器用ではない。中でも履歴書の職歴は、あらゆる仕事が短期間で変わったり、空白の期間いわゆるブランクもある。資格は数個あるが、周囲や社会には通用しない。大学も『こども心理』を4年間学んできた。大学院にも行けず、大学を卒業しても、すぐに仕事が決まらない。
そんな中で「軽い作業だから軽作業なんて楽」と言われたことがある。軽作業に問わず、楽な仕事は存在しないと私は思っている。
私は「事務」の仕事につくのが夢。しかし、電話対応が苦手。人の表情が見えず、読めず、声だけで判断することができない。夢を諦めかけた時に、今の仕事に出逢う。今まで経験してきたデータ入力、軽作業がある。しかし、空白期間も多い私でも、受け入れてくれるか不安が隠せない。実際、働き夢が叶った瞬間でもある。自分らしく、私が私でいられる。
今は更に自分を成長させるために、新たな夢を見つけた。その背景は、同部署の仲間からの相談や他愛ない会話。周りが『話して気持ちが楽になった』『不器用ながらも頑張る姿が力になる』と温かい言葉に涙。私の職歴など言ったら退く覚悟で話した。その返答は『中途半端ではない。あらゆる職や仕事を知れて、逆に凄い』『辛さがあるから今がある』『嘘や誤魔化さない強さがある』と温かい言葉。周りが教えて下さった。これから先も『心理学』と『仕事』を両立。そして今、新たな資格の取得に向け準備をしている。
私を雇ってくださっている会社、仲間があり、私がいられる。この場をかりて『ありがとう』の感謝を伝えたい。そして今日も、その気持ちを力を少しでも恩返ししたいから働いている。
育児と仕事
~在宅勤務でバランス
のよい生活~
この春から、パートタイムで派遣社員として働き始めました。それまでは正社員で働いていましたが、夫の転勤や出産・育児などでここ3年ほどは専業主婦をしていました。子供の保育園への入園に備えて、2月頃から本格的に就職活動をするようになりました。第一子で、保育園に通わせてからの生活が思い描けず、子供の病欠などの対応や久しぶりの就労に不安を感じていたので、週3日程度で働くことに決めました。アデコへの登録からほどなく、担当者の方からおすすめの仕事の案内メールが届きました。前職と職務内容も類似しており、すんなりと取り掛かれそうだったので、応募し、就業が決まりました。今回の就業は、フルタイムで働く前の「仕事と育児の両立を試すリハビリ期間」として考えていたので、負担の小さい庶務中心の仕事を選びました。幸い、それに加えて、前職で担当していた校正の仕事にも携わることができ、経験を生かせています。職場の方々は親切で育児にも理解があり、安心して働いています。チームでは大きなプロジェクトを扱っており、私は事務補助という立場ではありますが、そのプロジェクトがスムーズに進むための一助となっていると考え、一生懸命取り組んでいます。
勤務し始めてから間もなく、何度目かの緊急事態宣言が発令され、出社は週一日で他は在宅勤務になりました。通勤時間が減ったことで、その分を自分のための時間に充てることができるようになりました。保育園に送った後の就業時間前や昼休みにゆったりと読書をしたり、幼児教育について調べたり、Webのセミナーを受けたりしています。お昼も家で済ますことができ、経済的にも負担が減りますし、食事後に洗濯物をとりいれたり、軽く掃除したりと、効率的に時間を使うことができています。子供のお迎えに早めに行くことができるようにもなったので、子供も慣れない保育園から家に早く帰ってゆっくりでき、親子で一緒に過ごす時間が増えて安心したようでした。通園から数か月たって慣れた今では、「お迎え、もう少し遅くていいよ。」というようになり、すっかりたくましくなりました。
今のライフスタイルで平日でもしっかりと家事をこなし、自分時間を楽しみ、お休みの日は笑顔いっぱいで、子供と思う存分遊ぶことができています。契約期間内のしばらくは、この生活を思い切り満喫したいと考えています。
英語で世界が広がる、
これからの
セカンドチャレンジ
以前就業していた外資系企業で、大きなチャンスが舞い込みました。当時の副社長である外国人付きの専属秘書のポジションを打診されました。ただ英語は日常会話程度の経験はありましたが、読み書き中心で、ビジネスレベルの英語には全く自信がなく、悩んだものの結局勇気は出ませんでした。それから数年度、思いがけない人事異動でカナダ人の上司のもとで働くことになりました。彼はとてもフレンドリーでしたが、専門的な用語になると私が理解できていないことを察して別の言葉で言い直すことが度々ありました。英語力があればこんなに気を遣わせることもないのに・・・と内心自分の不甲斐なさを感じていました。
あれから世界的なパンデミックの影響で、ワークスペースは基本自宅となり会議も全てオンラインへ、無駄な時間を削減することで思いがけず時間に余裕ができました。真っ先にこの時間を使って英語をきちんと勉強しなおそうと考えました。いまはイギリス人の先生と週3回、30分のレッスンをしています。イギリスとは時差があるので、レッスンはだいたい22時頃ですが、自分の終業後にしっかり予習の時間を取るようにしています。オンライン英会話用のテキストもあるのですが、自分の言葉で話す力をつけたいと考え、フリートークで進めています。日常でふと英語ではどんな表現になるのだろうと考えることも増えました。ワクチン接種などニュースよりも早く現地の声を聴けることも新鮮です。テキストで勉強していたときよりも、よりナチュラルな表現を教えてもらうことができますし、発音もしっかり訓練してくれるので耳が慣れてきたこともありとてもよい習慣づけとなっています。
先日、勤務先での海外向けの動画配信があったのですが、字幕の通訳を見ずに説明をほぼ聞き取ることができました。社内での英文メールも最近は翻訳機能を使用せず、どうしてもわからない単語だけを調べることで全体を掴めるようになりました。英語を通して、世界が広がることを実感しています。オンラインの恩恵も勿論ありますが、いまの働き方だからこそ新たなチャレンジに取り組むことができたように思います。いくつになっても人生は勉強、テクノロジーを活用し意欲的に自己研磨に取り組む姿勢こそ、ニューノーマルの根幹だと感じました。
転職回数が多い
私の強みを
生かして働く
「自分らしさを生かした働き方」というテーマを目にした時、真っ先に思い浮かんだ自分らしさは、転職回数の多さでした。実際、10社以上で働いてきました。これは最初から意図していた訳ではなく、気付いたらそうなっていました。次々に仕事を変えているというのは、世間的にもマイナスに捉えられがちであり、自分でもコンプレックスを感じていた時期もありました。しかしながら、ある時、自分が仕事を覚えるのが早く、職場の環境にも早く馴染むことができることに気付きました。それは、今まで様々な職場を経験し、多様性や柔軟性、順応性を学び、その仕事の特性に自分をあわせることを学んできたからだという結論に至りました。そして、これこそ自分の強みであり、自分らしさなのだと感じました。それからは、転職回数が多いことをポジティブに前向きに捉えられるようになりました。
現在のアデコの職場は8か月前より勤務していますが、SVからは、仕事を覚えるのが早く、業務に貢献してくれているというお褒めの言葉をいただきました。これも順応性や柔軟性という、自分らしさあってこそだと思っています。
今ではすっかり業務に馴染んでいますが、今後ペーパーレス化の動きもあり、さらに順応性や柔軟性が求められます。ですが、素早く馴染めるという自分らしさを生かして、業務の変化に対応し、職場の方針に沿って業務に貢献できるような働き方をしていきたいと思っております。
若年者支援から出会った、
若輩者の私が若葉マークを
つけて働くアデコ
若年者支援事業から始まったアデコとのお付き合い。社会人としてのビジネスのイロハを教わったのも、アデコからで、今の就業先もアデコから紹介していただいた企業で、マイペースに勤務させていただいております。
コールセンターの企業で新しく派遣される方が多いこともあり、営業担当のアデコのお兄さんたちと会うこともしばしばですが、とても腰が低く、いつでも私を発見しては声をかけてくださる姿勢は営業の鑑だな、と学ばせていただいております。
私自身は営業職は絶対できないだろうと思わせてくれるほどのかっこよさに感心しています。
そのような実際の対面でのサポートをしてくださる営業さんたち、メールや電話などお会いしたことはなくてもキャリアサポート、アドバイスをしてくださるキャリアコーチ。
派遣会社さん、アデコさん、と呼んではいても、実際はそこで働く派遣さんの私を、守って支援してくださるのがアデコという総称なのだとつくづく思います。
若輩者で役に立てているのか未だに不安ですが、今後もアデコからご指導ご鞭撻いただきながら働きたいと思っています。
無理せず、
自分らしく生きる。
最初は正社員として勤務しておりましたが、徐々に派遣へとシフトしていき、今は派遣がメインとなりました。期間限定のものを含めると、それこそ数十社にのぼります。一時ここを辞めたら次がなかなか見つからないのではと不安でしたが、タイミングさえよければ更に条件がよいところにめぐりあうことができるということを学びました。ここでがんばらなければ、踏ん張らなければという考えは精神衛生上よくないことを実感しました。いつでもゼロから学べるという気持ちさえあれば、どんどん場所を変えてもよいのだという気持ちで心も健やかに生きていこうと思います。
それと変化をいかにしてチャンスに変えていくかという発想です。カオスな状況になればなるほど楽しそうにしていると気が楽になります。勤務地に関しても、派遣社員の場合は転勤や出向というものがなく、自分の働きたい土地で働きたい期間、働きたい業務で関わることができるというメリットがあります。
業種にもよりますが、オフィスワークだと配属された部署の人間関係やクライアント様との電話対応、引継ぎが主になるので、必要以上に多くの人と過ごさなくて済みます。人と居すぎることで自分を追い詰めてしまうことがあるので、長時間人と接する仕事よりは人とは接するけど、自分のペースでできる環境がよいです。
私は、安定よりも不安定でも自分が働きやすい環境のほうが大切だったので、派遣という働き方を選びました。正社員でも派遣社員でもメリット・デメリットがそれぞれあります。それぞれのメリット・デメリットをよく考えて、自分にあった働き方を見つけてください。
素の私に
戻してくれる言葉
素の性格は毎日小さな幸せを見つけられる、マイペースでハッピーな性格の私。20代の頃は自分らしさ100%で、上司やチームに可愛がられ、ぬくぬくキャリアを積むことができた時代。30代から英国で働くきっかけがあり、仕事への姿勢が大きく変わりました。その結果、会社の上司や同僚から「冷静」「予定を立てて必ず期限内に仕事を達成できる」「タイムマネージメントが素晴らしい」「いつもアイディアがある」「落ち着いて会話ができる」など完璧なキャリアウーマンのようなイメージを持っていただけます。嬉しい限りです。
実際は同時にたくさんのお仕事を進行しなければならないときや、上司に提案や大切なお願いをするとき、会議での発言など、心臓も頭もドキドキです。なぜなら素の私はのんびり屋のハッピーな性格。特に、40代になった今、キャリアもあって当然な年頃になり、注意深く発言するようになりました。言いたいことを自分の中で消化することもしばしば。でも伝えたいことは伝えたい。そんな気持ちになったとき、いつも私にアドバイスをくれる言葉があります。
Say it straight, simple and with smile 率直、シンプルに笑顔と一緒に伝える
難しく考えず、自分らしい働き方に導いてくれる言葉。
それでも、どうしても考えがまとまらないときは、大好きなお茶を飲みます。お茶にもこんな言葉が。
A cup of tea cures everything 一杯のお茶が全てを癒してくれる
会社にお気に入りのお茶やコーヒーを常備して、頭が煮詰まりそうな時に飲む一杯。この一杯で一息、リセットされて中性的な考え方に戻してくれます。どちらの言葉も英国に住んでいた30代にギャラリーやアート、本から得た一句。素の私とお仕事モードの私、どちらも大好きなキャラクターだからこそ、自分らしさを忘れずに大切にしようと思い出させてくれるこの言葉を、皆さんにもシェアしたいと思いました。時には正社員の方と肩を並べて働くこともある派遣社員の私達らしさを大切に、これからも自分らしく働きましょう!
キラキラ
自分らしさに満ちた
仕事との歩み。
私は韓国人として、色々なことを経験しながら、日本で20年近く暮らしてきました。
50代初めにアデコの派遣社員として登録してから、初めてすることになった仕事が今の仕事です。
韓国語と日本語を一緒に使える仕事をずっと探してきましたが、なかなか自分にあうような仕事は見つかりませんでした。
今回のプロジェクトで私の特技を生かしながら、英語とコンピューターを使う仕事をするようになり、自分の個性を生かしながらも、チームワークとして働くようになる仕事に出会うことができました。それまでは、そろそろ仕事から引退しなければならない歳だという考えでしたが、まだたくさんの仕事ができるという自信を持つようになり、自信感を取り戻すことができました。
50代になって更年期を迎え、多くのことに失望、挫折して自信を失った憂鬱な日々もありました。しかし、今のプロジェクトに参加して、アデコの支援はもちろん、同僚たちとのコミュニケーションを通じて、自信を持つようになり、更年期の鬱病からも回復することができました。
今はチームワーク向上のためのアドバイスや、チームメンバー間のトラブルに柔軟に対処するなど、豊かな人生経験を生かしてチーム内に必要な人材として認められるよう精一杯頑張ってやっています。今は仕事の時間が待ち遠しいくらい、仕事をしている時間がとても楽しくて活気に満ち、自分らしさが発揮できる自信に満ちた一日一日を過ごすようになりました。
この仕事を通じて、スキルが足りていなかった英語の勉強も再開し、コンピュータースキルも向上しました。仕事を始めた時よりアップグレードされた自分の姿を振り返ってみると、再び自信感を持つことができるような仕事とのつなぎの輪になってくれた、アデコと社員の皆さんに感謝の気持ちを伝えたいです。
私のキャリア
ストーリー
私は20代のときから派遣社員として、いろいろな会社で勤務してきました。
アデコ以外の派遣会社でも働いたことがあります。マッチングがあわず、スキル不足で苦労した会社もありました。派遣は仕事がなければ働けませんから、仕事がすぐに見つからないときには不安になることもありました。そんな時には外出したり、友人に相談にのってもらったり、気分転換をして乗り切りました。入社してみたら、思っていた業務と違う内容をやることになる場合もありました。そんな時には、派遣先にあわせ、柔軟に対応してきました。また、エクセルやワードも最初のころあまり使えなかったので、PCのスクールに通いスキルアップをしました。派遣先によっては、自分では解決できない悩みや問題が起こることもありますが、そういったときは営業の方が相談にのってくれて解決したり、改善がみられないときには派遣先を変えることができるのも派遣のいいところです。現在の職場ではテレワークがなかなかできず、コロナの中、出社が多いので、不安になることもあります。派遣先によっては難しいのかもしれませんが、働き方を選べる職場が理想です。いつでも仕事がとぎれないよう、スキルアップをして前向きにがんばっていきたいと思います。
自分にあった職場に
出会えました
私は共働きで3人のチビッ子のママです。子供が大好きで、お休みの日は子供と過ごしたいし、子供のイベントには全て参加して、子供の成長を見ていくのが私の生き甲斐です。そんな中、前職は土日祝休みから日曜休みへと変わってしまいました。土曜、祝日は保育園や両親に預け、せっかく一緒に過ごせる時間をとられてしまった、もう2度と戻ってこない幼い頃のこの時間を捨ててしまうようなとても悲しい気持ちになりました。そして、転職を考え、土日祝休みの今の職場に巡りあうことができました。
今まで行事があるときは、出勤日の土曜も他の人にむりにお願いをして、お休みしていたのですが、今は違います。何かバタバタとしていると、逆に子供のことを皆さんが心配してくれて「大丈夫?お子さん優先にしてくれていいんだよ。心配なら今日は帰ってね」と気にかけてくれます。びっくりしました。「自分たちも同じ道を通ってきたからわかるんだよ」とのことでした。それが当たり前のようでした。
私にとって、とてもよい職場に出会えたと思います。今は休みの日は子供たちと過ごし、行事は必ず参加させていただいています。今の仕事が大好きで、毎日楽しく過ごしています。
ワーママ歴
もうすぐ祝20年!
一人っ子の息子を育てるワーママです。
風邪をひいてばかりいた幼少期、サッカー三昧で勉強嫌いの青年期、激しい反抗期。そんな息子もいつの間にか大学生になりました。もうすぐ巣立ちの時期かと思うと寂しくもありますが、大人への階段を着々と登っている姿は嬉しい限りです。そして、ワンオペ育児で20年弱休むことなく仕事と育児の両立ができたことに感謝です。
育休明けはとにかく時間に追われ、経済的にも精神的にも辛く、不安ばかりでした。仕事も育児も家事も中途半端で、自信喪失の日々でした。そんな私を助けてくれたのは、「整理整頓」です。不要なものを処分し、スペースができると気分がスッキリしました。モノの適正量や定位置を決めて、動線を整えるとグッと時短になりました。いるモノといらないモノが分かると買い物上手になり、出費も減りました。気づけば、不安や負担が減って、できたゆとりは私の活力プラスαになりました。
こまめな片付けを習慣づけて、綺麗な状態を無理なく維持することを心掛けています。モノの場所を家族で共有し、使ったモノは元の場所に戻すことをルール化しておけば、無闇に探して散らかすこともなく、探し回る時間も無駄にしなくて済みます。就寝前に片付けておけば、朝バタバタせずスムーズに身支度できますし、家を出る時に片付けておけば、疲れて帰ってきた家族に癒しを与えることができます。片付けは「後始末」と考えるより、「後の誰かや自分へのプレゼント」と考えると楽しくなります。我が家では帰宅時、「やっぱり、うちが一番~♪」と思ってもらえる家にしています。どんなに疲れていても、家でしっかりリセットして、翌日また元気にそれぞれの居場所へ向かえるように。
そして、整理整頓力は仕事にも大いに役に立ちます。机周り、ファイル、データフォルダ、作業工程など…必ず整理整頓が必要です。整理整頓は就業時間内に効率よくスピーディーに業務遂行するための重要スキルです。私が職場でいただいた一番嬉しかった言葉は、手間やコストがかかっていた要改善プロジェクトの後任を任されて、低コスト高成果を実現できた時に、「お願いしてよかった!〇〇さんが担当してくれると砂利道でも獣道でもキレイな舗道になるね、まるで成功へのアベニュー!」自身の武器である整理整頓力でこれからも働き続けたいと思います。
自分らしい働き方と
派遣
自分らしい働き方とは、自分の希望にあった環境で能力を最大限に生かし、無理なく働けることだと思います。
私は今すでに経験したことのあるスキルを生かしながら、さらに新しい分野での知識を広げ、住む場所や勤務できる時間に変化が生じた場合でも対応できるような働き方を理想としており、派遣社員という働き方はまさに私の希望しているものでした。
以前正社員で勤務していた時は時間外労働も多く、自家用車での通勤だったため、帰宅後や移動中に学習時間を確保することが困難でした。しかし、現在は勤務先が自宅から近く、時間外労働がほとんどないため、興味のあることの学習や、趣味に時間を割くことができるようになりました。
また、私は新しいアイデアを生み出したり、周囲をまとめるリーダーシップを発揮することよりも、確認作業や書類作成といった事務作業を得意としています。そのため、大学卒業後も事務職員として病院で勤務し、その時に経理業務や人事業務を担当していました。現在の派遣先では、人事サポートとして、労務管理や入退職者の各種保険手続きのお手伝いをさせていただいています。今の業務では、以前人事業務を担当していた時の経験を生かすことができ、さらに業務を行うなかで新たに知識を深める分野もあり、充実した日々を過ごしています。正社員だと、人事異動や欠員の出た部署の補充のために、担当する業務内容が変わることもありましたが、派遣社員だと業務内容を自分で選択できることも魅力の一つです。
現在派遣社員として働きだしてまだ1ヵ月程度ですが、業務内容や職種、業界を自分の経験や得意とすることにあわせて選ぶことができるなど、選択肢が多岐にわたっていること、そして自分の時間をうまく活用できることから、以前より自分らしく働けていると感じています。今後も派遣社員として働きながら、さらなるスキルアップを目指して頑張りたいです!
オンラインシステム
活用について
約5年前に、三重県伊賀地区の建設業工事現場で、機械装置の電動弁が故障発生して、修理に急を要する事態となりました。私は故障状況をデジカメにて撮影して、会社のPCからメールで関係先に画像をPDFで送信して対応をお願いしました。これにより、メーカーが現地調査する手間が省略され、修繕にかかる時間を短縮できました。これが、私の仕事のオンライン化の第一歩であります。
近年コロナ禍により、オンライン面談等急速に普及が始まり、国としてもオンラインデジタル化を促進しております。私は、日進市の講習会のZoomによる勉強会に参加しました。市民会館で参加者による全体説明会です。写真は、当日に撮影したものです。その後2回目は自立神経を整える運動のトレーナーによる約45分間の講習に自宅PCでリモート参加しました。今後も引き続き、自宅PCで講習会に参加して、マスターしたいと思います。
また、別途就職活動のオンライン面接を自宅で経験しました。このオンラインシステムは映像情報として、遠方にいる家族の会話、実家の家屋状況、農業・林業などをオンラインで収集することが可能となります。このシステムは自宅にて関係者と会話可能になります。働く現場でも、首記の現場情報を事務所に送信して施工業務の効率向上・コスト削減など働き方を改善できます。オンラインシステムは自身の健康管理・関係者との情報共有・作業場所の効率化などメリットは大きく、自分にあわせたキャリアストーリーを形成していきたいと思います。
撮影はスマホ、自動車ドライブレコーダーなどにより、現場情報を確認しながらオンラインでリモートの関係先に知らせることで、就労状況は確実に進化すると思います。
仕事はいつも
プラスαで
今年、私の派遣歴初、同じ勤務先内での配置転換がありました。昨年10月から隣の部署のお手伝いをしていて、この4月から契約自体もそちらの部署に変更になったものです。「仕事はいつもプラスαで」を心がけている私にとって、ちょっとした驚きと喜びでした。このコロナ禍で仕事を失ったり、時短を余儀なくされたという話を聞くこともあったので、むしろ安堵のほうが大きかったかもしれません。
派遣の仕事は「言われたことを言われたとおりにする」のを求められる場合も多いですし、業務によっては本当に改善の余地のないものも、正直あったりします。でも、依頼されたExcel表を、ちょっとした関数や条件付き書式などでより使いやすく便利に(あまり時間をかけないで、が重要です)するだけで、業務改善や新たな気づきにつながることも、よくあることです。私の場合は、過去に社内SEやホームページのコンテンツ作成の経験があり、今までの経験を多少なりとも生かせる場面があったのもプラスに働いたのではと思います。「意見や見解」を求められる場面もあり、それがモチベーションにもつながっています。
今後も少しでもお役に立てる場面があったら、能力を出し惜しむことなく、業務にあたっていきたいと、今回のことで意識を新たにしました。
貿易事務の
ステップアップを
目指して
私が大学を卒業して就活をした時期は、就職氷河期でした。なんとか英語を生かしたバイヤーを目指せる就職先を決めたものの、当初の約束と異なったため退職。事務経験のない私に貿易事務の仕事は見つからず、時給1,450円の経理アシスタントから私の事務員としてのキャリアは始まりました。
時給UPを目指して、TOEIC600点以上あれば未経験者でも受け入れていた企業で貿易事務を始めるも、毎日クレームを受けるのが仕事の一部、残業ばかりで自分のライフスタイルが確立できない過酷な環境で数年過ごしました。しかし、幸いなことに、業務を通して貿易の仕組みに非常に詳しくなれました。そこで、私は自分のペースで働ける場所に行きたいとその職場を辞めました。その後、いくつかの派遣のお仕事を通して、今までと違った目線で貿易事務を学ぶことができました。しかしながら、コロナ禍で業務縮小となり、貿易事務ではない業務をすることになってしまい辞めることにしました。コロナ禍の間に転職するのはとても怖かったのですが、やはり貿易事務の知識をもっと深めたい気持ちも強く転職に乗り出しました。
現在、今までで最も高時給で貿易事務の仕事ができています。また、今一番やりがいを感じていることとして、輸入を中心に働いてきましたが、念願の輸出業務も経験でき、知識の幅が広がったことです。今の環境では、責任の大きい業務を任していただけ、気づいたら退勤時間をむかえている日々が続いています。
よりよい明日へ
高い意識を持って仕事に取り組む。たとえ、その分野に携わって短期間でも。日々の暮らしに嫌なことがあっても、顔に出さず対応をする。容易くできることではないが、常に求められる。努力をしているが、なかなかどうして難しい。しかし、今これらを成し遂げるプロと仕事をしている。
先生と呼ばれる職業が数多くあるが、今の職場ではある先生方と仕事をしている。配布された多くの資料を読み込むが、自分の仕事はとても未熟である。質問がある時は、何時でも気軽にと環境を整えてくれる。疑問がある度に丁寧な説明と解説をしてくれる。仕事を重ねる毎に、より深い考え方や取り組み方の助言を厳しく温かく与えてくれる、自身のレベルを上げられるよう導いてくれて、それに応えようと仕事に励む。
高い意識を持って仕事をするのは難しいが、プロと働けることは最高に嬉しく楽しい。これまで経験したことがない環境で、緊張感を持って働けることが大変ありがたい。これは、五感をフル稼働させて、全てを吸収しないと勿体ない。仕事に対する姿勢はもちろん、日々の暮らしや時間の使い方もより充実したいと心がけるようになってきた。まだまだ伸びしろがあるぞ。明日は、今日よりももっとより高みを目指して気張ろう。
出逢いは生きがい
私の生きがいは、人との出逢いです。友達、美味しいものとの出逢い、いろんな仕事をしてみたいという夢など、欲張りなほどたくさんあります。時として、挫折しそうになったり、落ち込んでしまうこともあるけれど、そんなとき、再度自分の生きがいについて思い出します。それが、私に勇気を与えてくれます。
今の私の仕事は、コロナワクチン接種会場での運営サポートです。ある時、高齢者が来られた時のことです。「ご苦労さまだね。ありがとうね」と声をかけてくださる方もいます。また、「感心するね、世界をかえてくれてありがとう」と、話された方もいました。お客様に、「こんにちは、こちらへどうぞ」と笑顔で声をかけることも大事ですが、「今日は暑いですね、ゆっくり歩いてくださいね」と、話しかけるだけで気持ちがよいです。
ワクチン接種には、障害をもった方も来られます。付き添いの方と手をあわせ、手話で相手に伝えているのを見て、手話にもいろんな方法があるのだと感じました。手話を勉強し、皆様のお役に立てることができたら最高だと思います。
小さい頃から人と接したり、話をすることが好きな私。まだまだいろんな勉強もあり、接する手段もあるのです。相手を理解するために、人とのコミュニケーションを欠かさないようにと、常日頃心がけてはいますが、気持ちだけでは伝わらない。ワクチン接種会場での経験は、忘れられないものになりました。
これからどう生きていくのか、どう働いていくのか、人のために何ができるのか、人と接して喜んでいただけるように努力を惜しまず、出逢いを大切に仕事をしていきたいと心から思います。
40代から50代に
向けて、変わりたい
自分を受け入れる
学生時代に学んだ建築やインテリアの業界に憧れて、15年間不動産会社とインテリアショップで働いてきました。40歳手前になって、ふと今後のキャリアを考えた時・・・。このまま仕事を続けても行きつく先は、独立してお店を持つか、会社で役員を目指すこと。でも、まだ男社会で長時間労働、年収アップも天井が見えている。今後、子育てしながらのキャリアアップは難しいと考え、次のステップへ進むべきだと転職を決意しました。
決めたら、即行動。次に何を目指すかを考えた時、昔は選ばなかったけれど、少し憧れていたシステムエンジニアの職業について知りたくなりました。スクールなどを調べていくうちに、公共職業訓練校にAI技術やWEBを学べる3ケ月コースがあると知り、応募しました。しかも、職業訓練校に通学する場合は、失業保険の待機期間3ケ月も短縮されるので、退職後、翌月には通学していました。学ぶ3ケ月間は充実したもので、毎日頭をパンクさせながらも、新しい知識を詰め込む作業は楽しかったです。スクールに通う人の中には、元システムエンジニアの方も多く、その業界についても聞き知ることができたのもよかったです。
まだまだシステムエンジニアになれる技術はなく、これから実践して身につけていくものですが、今後は資格取得を目指しながら、この先の職業として何を続けていくのか模索中です。今は、今までの業界と違うIT企業で働き、キャリアを築き、本当に自分にあった働き方を見つけていきたいと考えています。
自分らしく、女らしく、母らしく、なりたい自分をあきらめない。育児も忙しさを理由にせず、思い切り子供にやりたいことをやらせてあげられる、余裕と自信を持つこと。やはり稼ぎは大切です。目標は50代で年収500万円以上!!
コロナ禍の中での
出会いと別れ
コロナウイルスの流行が叫ばれ始めた2020年2月、地域でも有数の中核病院に勤務していました。「事務」として勤務していましたが、最前線でコロナウイルスと戦う方々とも業務を行っていました。以前から5月を以て、契約満了が決定していたため、みなさんのサポートを途中でやめてしまわなければならないことに虚しさを覚えていました。最終勤務日にお世話になった方々へ挨拶へ行き「現場で辛いことがあっても、あなたがいつも笑顔で接してくれて、元気がもらえたよ」「現場スタッフ一人ひとりのことを考えて、提案してくれたり、密に連携を取って、報告も端的にまとめてくれたり、本当に助かったよ」とたくさん嬉しい言葉をかけていただきました。私よりも何倍も大変な状況下にも関わらず、相手への配慮を忘れない姿に感銘を受けました。
その後、新しい派遣先に赴いた際に、まったく異なる業種に飛び込んだため、病院で学んだ「専門的な知識」を生かすことは叶いませんでした。しかしながら、「仕事に対する姿勢」を実践できるように努めました。特に命を扱う現場であったため「スピード感」「的確な判断」「報連相」「チームワーク」をどの職場よりも重要に感じていました。実現するためには、何を工夫すればよいのか?といった以前にはない着眼点を持つことができました。
また、私よりも年下の方が多く、ビジネスマナーのような「客観的な知識」を求められる場面が以前より増えてきました。その際に、病院で褒めていただいた「端的に情報をまとめ、キャッチボールを一度で完了させる工夫(イエスかノーかで答えていただけるように質問を設ける)」「締め切りを第一に伝え、まず、メールで内容を送り、相手の時間を拘束しないようにし、答えのみ準備していただく。返信を忘れているようだったら、電話をかけ、ヒアリングを1分以内に完了させる」といった自分が実践していたことを紹介しています。「ビジネス書に載っていない実践的なことを知れて、嬉しい」と言われ、私自身も伝える工夫を勉強できる機会を与えてもらい、成長につながっています。
この2つの現場を経験する折に「コロナウイルス」に大きく影響を受けました。よいことばかりでは決してないですが、なかなか経験できることではないため、悲観することばかりではなく、私に今何ができるのかを日々模索し、問題解決できるよう努めていきます。
新しい生活様式で、
新しい私に
在宅ワークの定着、休日の外出自粛など、生活の様式がガラリと変わった。そのことで当たり前だが、自宅で過ごす時間が増えた。コロナウイルスの出現は私たちにとってピンチとなっているが、そのピンチを乗り切るまではこの期間をチャンスに変えたいと思っている。
そこで、私は増えた自宅時間を使って、料理と英語の学び直しを始めた。具体的に言うと、料理についてはレパートリーを増やしたいと思い、料理本を購入した。今まで使用したことのない野菜も購入し、健康管理も兼ね、毎日の食事を作っている。健康であることのありがたみを身を持って実感している今、毎日の食事の大切さを考え直し、資本である体を大切に栄養バランスのとれた食事を心掛けている。
英語学習については、毎年先送りになっていたが、今回こそはと思い、単語の暗記から始めている。単語が分かれば英語も聞き取れるようになると考えているので、日々単語を覚え、いずれは仕事でも生かせるよう、電話の受け答えを英語で行えるようになりたい。料理も英語学習も途中でくじけないように小さな目標を積み上げていき、未来に向け新しい私へ成長したいと思う。何かが変わるとき、それはピンチに直面した時ではないかと思う。今がその時であるから、明るい未来のために強い意志を持ち続けたい。
ライターになる夢を
支えてくれた、
アデコでの働き方
“昔から好きだったことに挑戦するために、働き方を変えたい”
そのような想いから、私はアデコで派遣社員として働き始めました。新卒から正社員として、広報関連の仕事に従事してきた私。キャリアに転機が訪れたのは、3社目の会社に転職し、採用広報として働いていたときのことでした。転職して3ケ月後、会社の方針転換があり、採用広報の仕事がなくなってしまったのです。私は他業務のアシスタントをすることになりましたが、やりたいことと大きくかけ離れ、今後のキャリア形成に非常に迷ってしまいました。そこから半年ほど、副業を始めたり、色々な人に相談する中で、昔から好きだった「書くこと」を仕事にしていきたいという想いに気づきます。ライター業に挑戦したい気持ちがどんどん強くなり、働き方を変えることに決めました。対外的に情報発信する広報領域でキャリアを積んできたとはいえ、本格的なライター業は未経験からのスタートです。まだ幼い子供もいるため、いきなりフリーライターとして独立するにはリスクが大きく、メディア関係に転職するには経験不足で勤務条件もあいませんでした。ライター業を視野に入れながら、キャリアを積むにはどうしたらよいのか。ずっとお世話になっているキャリアコンサルタントの方に相談したところ、やりたいことをやりながら、生計を賄いつつ、キャリアを積む意味で、自分に最適なのは「派遣社員」という働き方だと気づきました。それからすぐにアデコを含め、複数の派遣会社に登録。これまでの経験を生かしながら、ライター業と育児との両立ができる仕事を探し始めました。
アデコからは登録後、すぐにお仕事をご紹介いただきました。今の派遣先はその時、ご紹介いただいた職場です。これまでの事務スキルを生かせる仕事内容で、働き方は週3日で原則在宅勤務。職場の上司や社員の方々は、とてもよい方ばかりで、非常に恵まれた環境で働かせていただいています。在宅勤務のお仕事に就くことができたため、子供の保育園送迎や家事に使える時間が増え、家庭との両立もかなり楽になりました。
派遣社員として就業していない日は、インタビュー記事やコラムの執筆など、ライターの仕事に挑戦中です。まだまだ駆け出しライターとして模索中ですが、自分自身がさまざまな記事や文章から生き方や考え方に影響を受けてきたように、誰かの生き方や考え方に少しでも役に立つ記事を書いていきたいと思っています。
アシスタントOutlook
を使いこなして
コロナ禍で契約が打切りになった後、やっとお仕事が決まりましたが、ただの単純作業的なお仕事に物足りなさを感じていました。そんな時、契約が終了となり、またまた幸運にも次のお仕事が決まりました。今度は、大好きで得意とする会議設定がメインの業務です。また、以前のお仕事では、英語の使用はほとんどなかったのですが、今度は、米国系の企業でのお仕事で、英語を再度生かして仕事ができます。英語がお仕事に不可欠となり、英語の勉強も以前にも増して、身が入るようになりました。以前購入していた、英語のハウツー本や、TOEICのため本が実際の業務で役に立っています。
また、新しい業界ですので新鮮でもあります。現在、人事部にお世話になっておりますが、あらためて人事のお仕事の奥深さ、やりがい、人との繋がりの大切さを感じながら、日々成長できる喜びを感じています。
日程調整、会議設定という、一番好きなお仕事を通じて、国内、海外のいろいろな方とやりとりができるのが、外資系企業で働ける喜びだと、あらためて感じております。国内企業の総務から外資系企業の人事部アシスタント、さらにグローバルな人事アシスタントとして勉強し、経験を積みたいと思います。
ストレスを溜めずに
経験値を貯める
私が社会人になった頃と比べ、現在は働き方の多様性が認められる社会になりつつあります。それ故に、自分で決めた働き方で生きていくには、戦略を立てる必要があると思います。「業務の中で社会で通用する専門スキルを身につける」「プライベートの時間を使い、資格学習や創作活動に力を入れる」「紹介予定派遣から正社員を目指す」「FIREを目指して蓄財する」、人それぞれ高めていく要素は違っても、理想の将来像を描いて、何かを積み上げることが大事であり、それが今、働く上での大きなモチベーションになります。一般的には、年齢が上がれば、選択肢がなくなると言われますが、歳を重ねた時こそ自分のやりたいことを選べるようになっていたいものです。そのためには、まず自分の人生戦略をしっかりと立て、明確な短期目標を設定して、それを実現していくことが重要です。派遣社員として働いていると、職場が変わることが多く、どうしても将来設計が立てづらいという問題に対して、職場が変わっても、働き方が変わっても、社会の状況が変わっても、次に引き継げる何かしらの財が築けていれば、ステージが変わっても「強くてニューゲーム」でスタートできるのではないでしょうか。「ストレスを溜めずに経験値を貯める」ことが自分らしく働くための私のモットーです。
楽しい未来を
迎えるために
歳を重ねるごとに、経験は積まれていきますが、一般的に採用される確率は低くなるように思います。私の場合、まだまだ働いていかなくてはなりません。年をとっても働かなくては生きていけません。なので、自分のやってきた仕事を振り返り、「自分の売り」は何なのかをできるだけたくさん探すことをやってみました。誠実に忠実に、業務をこなす。嘘は嫌いで周りとの調和も心がける。テキパキできない時もあるけれど、努力は惜しまず根性もある(笑)。ここで自己満足してしまいました(笑)。人生百年と言われるようになり、定年が65歳の企業や70歳まで嘱託として再雇用されるなど、時代は変わってきています。派遣という雇用形態で、ミドルやシニア世代がどんどん活躍できる世の中になっていくことを期待します。そして、私自身も未だ成長段階であることは確かでして、年下の仲間に教えられること、日々、多々あります。会社や社会に期待を託すだけではなく、必要とされる社会人になれるよう努力していきたいと思います。「65歳の派遣のおばちゃん」と言われたい!楽しい未来を想像しましょう。
働くということ
結婚・出産を経て、毎日忙しい日々を送っていた。ただ、子育てが一段落したらまた働きたい、社会に出たいと強く思っていた。社会情勢に乗り遅れないよう、新聞には目を通し、ハローワークで開催されていたパソコン・介護教室にも通い、勉強。資格も取得した。子供を通して、社会と繋がっているはずなのに、取り残されているような焦りを感じていた。
一番下の子供が保育園に入ったため、保険会社の営業事務を始めた。週に3回。10:00~15:00までのパート。はじめは覚えることもたくさんあり、毎日楽しく仕事をしていた。ただ慣れてきても、週に3回のパートに任せてもらえる仕事の幅は非常に少なく、だんだんやりがいを見いだせなくなってしまった。同じ年齢でずっと正社員で働いている人の仕事ぶりが眩しくうつった。一番下の子も高校生になり、いよいよフルタイムでの仕事が可能になる。派遣社員だが、任せてもらえる仕事がドンドン広がる。失敗もして、多大なご迷惑をおかけすることもあるが、毎日できることが増えていくのが何よりも嬉しい。
私にとって働くということは、誰かのために役に立てているということを(お客様にとっても、職場の方にとっても)感じることができることなんだと思う。
自分らしく
私は、持続性気分障害や社会不安を患っており、他の人と比べて、集中力が長く続く方ではありません。そのため、長時間作業を続けていると作業ミスを起こしてしまうことがあります。ですので、1件1件処理を終えるたびに深呼吸するなどして、脳をリフレッシュすることで作業を継続しやすいようにしています。以前はミスが多く、職場に迷惑をかけていましたが、深呼吸をして一拍分休むなどしていくことで、ミスの頻度を減らすことができるようになりました。
また、現在では分からないことは積極的に上司に質問して、大事なことはメモを取るようにすることで、聞いたことを忘れないようにすることを心掛けています。現在の仕事は上司の確認が取れないと、次の審査に進めないことも多いので、どうしても1件ごとの処理時間がかかってしまいますが、上司が来てくれるまでの時間で深呼吸したり、それまでの作業工程でミスがないかを確認することで、作業ミスの頻度を減らすことに成功しています。
私はこれからも、自分なりのやり方でミスを減らしつつ、無理なく仕事をすすめることができるように、ワークライフバランスをしっかりと保ちつつ、他にどんなやり方があるのかを模索していきながら、社会の役に立てるように努力していきたいです。
新たな楽しさ
現在、私は名古屋市のワクチン接種業務にて勤務させていただいております。5月から勤務させていただいておりますが、もちろんこちらの業務に就くのは初めてで、何もかも全てが初めての経験、初めての挑戦でした。2ヶ月が経過した今…とても楽しくて仕方ありません。ワクチン接種といっても、市民の方の受付、医師への案内、接種案内、終了用紙の案内、経過観察など、さまざまな内容の業務がありますが、全て、どの業務も本当に楽しく勤務させていただいております。
また、市民の方から「ありがとね!」や「助かりました!」と言われることが多くとてもやりがいがあります。この仕事に就けて幸せです。同じ職場で働く仲間たちともすぐに仲良くなり、助けあいながら勤務する楽しさも見つけられました。困っているときに飛んできてくれる人、足りないものをすぐに届けてくれる人、混んできたときにサッと入って手伝ってくれる人。
本当に嬉しくて、毎回感謝しながらお仕事しています。まるで数年間同じ職場で働いている仲間たちのような、そんな和気あいあいとした素晴らしい職場です。
残念ながら、短期のお仕事になってしまいますが、最後まで楽しみながら周りのメンバーと勤務していきたいです。
働くことの意味、
生活バランス
阪神淡路大震災の被災を機に、専業主婦生活から社会復帰を強く思うようになり、派遣のお仕事に従事して、25年経過しました。結婚で退職し、家庭に入り、子育て真っ只中で、どこか仕事と結婚の両立をしなかったことに少しの後悔を持った自分が居ました。被災し、生活の立て直しに奔走する主人とも相談し、まだ幼い子供達を完全にあずける社会復帰でなく、週に何日かのお仕事が始まりました。10年のブランクは予想以上に大きく、パソコン操作の不安の払拭、職場マナーの学び直しなど、思った以上の大変さはありました。しかし、10年ぶりにいただいたお給料のありがたさや、主婦生活の枠を超えた方々との関わりで、震災のメンタルのダメージは徐々に軽くなり、生活に別の色が付いた感じで、充実の日々となっていきました。もちろん、忙しさは加わりましたが、自身も「〇〇ちゃんのお母さん」から、「〇〇さん」と自分の名前で呼ばれる責任感、また仕事のミスでの自分への戒め、反省、未熟さも痛感しました。しかし、おかげで子育てにも家事にもよい弾みがつき、充実した気持ちから、生活バランスの落ち着きを得られたといえます。被災し、厳しい環境にはなりましたが、仕事を得られたことで立ち直れました。また、健康であることの大切さもあらためて感じます。子供たちも社会人となり、孫にも恵まれて、まだまだこれからも、おばあちゃんは頑張ります!
いつまでも人の役に立ち、
現役で働きたい!
現在は、支援金の相談窓口で就労しています。業務を通して、多くの方とお話しする機会がありますが、その中に非常に感服する相談者様がいらっしゃいました。ご年齢が80歳を過ぎた女性の方ですが、見た目は50代か60代くらいで笑顔がとてもチャーミングな方でした。ハローワークで働き口を探していらっしゃるとのことで、いつまでも働き続けることは素晴らしいなと感じました。年齢を重ねても、お仕事を頑張っておられる方がたくさんいらっしゃることは私自身の励みになります。
ニュースでは、関西の会社で働く91歳の女性の方のお姿も拝見しました。25歳から91歳の今日まで総務で働いておられます。そのお姿に、自分も見習いたいと、「感動」と「勇気」を心に強く受けました。
長く働く上の心構えを新入社員に語っておられ、「人の役に立つこと」、「会社に来るのが楽しい」とお話しされていました。私もこの方のように、健康で長く働きたいと思っていますので、このお話はこれからの仕事人生の柱になりました。
私も目標に向かって、頑張りたいと思います。